麦角中毒症と魔女狩り。 | マーブル先生奮闘記

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マーブル先生の独り言。2024年1月1日の能登半島地震後の復興をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 17世紀に入ると麦の黒い部分が麦角病の主たる要因であることが知られるようになり、麦角の害は急速に減少していきました。しかし、現在でも飢餓の続く地方で麦角病の発生の報告がなされています。アフリカでは現在でも時々発症し死亡者も報告されていますし、1926年から1927年にかけてロシアで大規模発生し1万人が被害を受け93人の死者を出した話は有名です。飢餓と教育がこの病気の発生の重要なポイントになっています。
 魔女狩りと麦角菌の関与が推測されている事件があります。「セイラム魔女裁判」として語り継がれる話がそれで、時は1682年2月、アメリカのマサチューセッツ州セイラム(現在のダンバース)で起こる悲しい事件です。セイラム村の牧師サミュエル・パリスには2人の娘がいました。長女のサミュエル・エリザベスと彼女のいとこのアビゲイル・ウィリアムスは友人らとともに親に隠れて降霊会に参加していました。降霊会とは霊媒者によって死者とコミュニケーションを図る交霊術のことでアメリカの各地で少しずつ行われていました。
この会に参加するようになったエリザベスが、ついでアビゲイルが日常生活で突然暴れだすなど奇妙な行動をとるようになりました。牧師である父は二人を医師に診察させましたが、医師は悪魔憑きと診断しました。その後、降霊会の参加者であるアン・パトナムJr.マーシー・ルイス、メアリ・ウォレン、メアリ・ウォルコット、スザンナ・シェルドンがつぎつぎと異常な行動をおこすようになり、心配した牧師による悪魔払いが行われたがまったく効果が見られませんでした。
悪魔払いに失敗した牧師のサミュエルは犯人探しを執拗に行い、黒人の使用人ティチューバを疑い、彼女を拷問し、ブードゥーの妖術を使ったことを『自白』させました。ついで牧師のサミュエルは娘たちを執拗に詰問したところ、娘たちは(村内での立場の弱い)3人の女性の名前を上げ、3人に無理やり会への参加を強いられたと証言しました。
1692年2月29日、無実であったティチューバ、サラ・グッド、サラ・オズボーンの三名に対して逮捕状が出されてしまうことになります。翌3月1日、セイラム村にはこの裁判を裁く判事がいなかったため、近隣のセイラム市から判事を招き、3人を収監するための予備審査が開かれた。
3人のうちの2人サラ・グッド、サラ・オズボーンは容疑を否認しました。しかし、証人として列席していた多くの悪魔憑きの娘たちが暴れだして、二人が霊を使役していると証言したため、この二人は反論も認められず有罪とされてしまいます。ティチューバは話をあわせたほうが拷問されないと判断したため、悪魔との契約を認め、求められるままに誘導され、認める証言をしてしまいます。



「セイラム魔女裁判」


このティチューバの証言が他の関係者の存在を示唆したことから、再度、娘たちが詰問され、マーサ・コーリー、レベッカ・ナース、ジョン・プロクター夫妻らがつぎつぎと告発され、結果的に100名を超える村人が告発され、村の収監施設がパンク状態に陥ります。
6月2日に特別法廷が開かれ、有罪を宣告された被告は6月10日から順次絞首刑に処せられた。処刑された総数は19名、1名が拷問中に死亡、5名が服役中に死亡する悲惨な結果になってしまいました。この事件は秋ごろには娘たちの証言に疑問を呈するものが出始めた。10月にボストンの聖職者から知事に上告が出され、事態を知った州知事が裁判の停止を命令。1693年5月、収監者に対し大赦を宣言し、収束しました。
無実の人々が次々と告発、裁判にかけられ、有罪にされるとい悲惨な結果は集団心理の暴走として有名ですが、この集団異常の原因の一つに麦角中毒症による集団幻覚説が有力とされています。