うちには、天使がいます。116.天使でばかりいられなくて | うちには、天使がいます。

うちには、天使がいます。

ピアノ弾き語り落ちこぼれシンガー・うたうやまねこと、そのパートナーゆかさん、そして寄り目のみけねこメイさんの、命の記録です。

 


・登場人物
<ゆかさん>
やまねこの奥さん。2020年9月、卵巣がんにより永眠。
2018年4月初めに腫瘍が見つかり、月末にはトルソー症候群による脳梗塞を発症。
手足や会話に障害が出ながら、摘出手術を経て、
2018年9月には全6回の抗がん剤治療も完遂。
諸事情により、ふだんは実家で母と暮らしながら、歩行のリハビリを中心に、
手足のしびれや難聴、高次脳機能障害など、脳梗塞の後遺症や抗がん剤の副作用と闘いつつ、
週末はやまねことうちで過ごす、という生活をしてます。
<やまねこ>
ゆかさんの夫。
落ち着きがなく要領が悪く、おまけにコミュ障。
いまいち頼りないだんなさまですが、
たまにライブハウスでピアノを弾いて歌をうたっていたりします。
<メイさん>
17年前にへその緒つきで捨てられていたところをやまねこと出会い、
それからずっといっしょに暮していた、寄り目のみけねこ。
2018年12月29日、突然猫てんかんの発作を起こし
翌2019年1月9日早朝、病との闘いの末、永眠。


(なお、病院関係者のかたがたほかの名前は、すべて仮名です)


2019年9月29日、日曜日。
8月の検査で見つかった腹水、それから腫瘍マーカーの微妙な上昇、
加えて先週から続く食欲不振と、ときおりの腹痛。
もやもやした不安は抱えたままでしたが、
尾骨骨折が回復し、歩行のリハビリが再び順調に進みだしたのはよい兆候でした。
そしてなにより引っ越しが決まり、
まるまる2年ぶりにいっしょに暮らせることになったのです。
大家さんからもOKが出て、いよいよ契約の日でした。

やまねこは気分が浮き立っていました。
朝ごはんのとき、何の気なしに、
「これでまた横浜が遠くなっちゃうな」と洩らすと、
(やまねこは以前横浜に住んでいて、横浜が好き、ということはゆかさんにも話していました)
「ごめんなさい。わたしがこんなになっちゃったせいで」
見ると少し涙ぐんでいます。
「もうすぐ戻れるから。わたし死んだら、すぐ戻れるから」
「そんな意味で言ったんじゃないよ。ごめんね」
不用意だったかもしれない。少し反省しました。
ゆかさんは気を取り直すように、「それにしても今日は暑いね」
「更年期のホットフラッシュなんじゃない?加味逍遙散飲む?」
ようやくゆかさんは少し笑ってくれました。


不動産屋の予約は、夕方からでした。
ゆかさんといっしょに車で不動産屋に向かいます。
担当者の又吉さんにオフィスに通されましたが、
又吉さんはすぐに出ていってしまい、しばらくふたりで待たされました。
「又吉さん、価格交渉してくれるって言ってたけど、どうなったかな。
家賃安くなったかな」
「そうね。どうしたのかな」
そのうち又吉さんとは別の女性の宅地建物取引士さんが入って来て、
重要事項の説明を受けました。
ゆかさんはあまり内容が理解できないようで、聞いているうちに苛立ってきたようでした。
「それではこの書類にご記入ください」と言って女性がいったん奥に引っ込んだとき、
ゆかさんは不満が爆発したようでした。
「家賃交渉してくれるからって言ったのに、なんにもその説明ないのおかしいね。
担当者もぜんぜん顔出さないし」
明らかに怒っています。やまねこは気分が引いてしまいました。

女性が戻ってきて、書きかけの書類を見て、
「ここには派遣先を書いてください」と言いました。
やまねこは頭が真っ白になって、固まってしまいました。
たしかに派遣先の現場は長い長い名前なのですが、ふだんは憶えています。
それでもゆかさんの怒っているのを見て動揺したのもあってか、
まったく思い出せなくなってしまいました。
固まっているやまねこを見て、ゆかさんの苛立ちはピークに達したようでした。
「しっかりしなさいよ!」とやまねこをなじりだし、
「ちゃんと準備してこなきゃだめでしょう!」と責め立て、とうとう、
「もうやめよう!ねこさんわたしと住んでもなにもいいことないよ!」
と、キれてしまいました。
やまねこはもともと記憶力が悪い上、
(なかなか憶えられないのに、憶えてもすぐ忘れてしまう)
緊張したり焦りだすとわけわからなくなってしまうことがよくあり、
子供のころから周囲にばかにされることが多かったのです。
なんだか情けなくなってしまいました。絞り出すように、
「そんなことないよ。いっしょに住みたいよ」というしかできませんでした。
「頼むよ。そうやって責め立てられると、よけいわからなくなっちゃうんだ」
ゆかさんは「がっかりしたよね。こんなんで。なにやってもだめだ」と言いました。
だめなのは、何?ゆかさんのこと?やまねこのこと?
でも「なにやってもだめだ」これこそ、やまねこが子供のころから言われ続けた言葉でした。
それはゆかさんにも話していて、
ゆかさんは「そんなことないよ」と言ってくれていたのに。

懸命に集中して、現場の名前を思い出し、書類を書き上げたころには、
やまねこの気持ちは暗く暗く沈んでいました。
ずっと待ちわびた、いっしょに暮らすための手続きだというのに。
ゆかさんはしばらくぶつぶつ言いながら怒っていましたが、
そのうち落ち着いてきたのか、
「ごめんね。今までねこさんにひどいこと言ってきた人たちと、
同じことしちゃったんだね」と言って、
書類をいっしょに書いてくれました。

ここでようやく担当の又吉さんが戻ってきて、
家賃交渉について訊くと、
「やはり全戸同じ料金にしたいとのことなので、元の通りで」と、説明してくれました。
無事に契約も終了し、不動産屋を出て、
ゆかさんを実家に送っていきました。

頭がぼーっとしていました。
やまねこには確かに、何かが足りない。
誰もが普通にできることが、やまねこにはできない。
そんな生きづらさは、子供のころから感じていました。
緊張すると、目線が泳ぎだし、手足が勝手に動き出し、挙動不審になってしまうこと。
そのために、ほとんどの面接で落とされてきたこと。
「グループ」というものにどうしてもなじめず、
協調性がないと言われ続けてきたこと。
これを何らかの発達障害というのでしょうか?
「何をやってもだめだ」「おまえなんかいらない」
わからない。わからないけれど、自分だってなれるものなら普通になりたい。

ゆかさんはやまねこをマンションの1階まで見送りに来てくれて、
かなり怒ったことを反省しているようでしたが、
やまねこの気持ちは沈んだままでした。

ひとりうちに帰って、食欲はありませんでしたが夕食にしました。
もう脳梗塞直後の、ずっと柔和な笑顔を浮かべていたゆかさんではない。
それは悲しいことではありましたが、感情がもとのゆかさんに戻りつつある、
と考えたほうがいいのかもしれない。だとすれば喜ぶべきことだ、と思いました。
しっかりしなくちゃ。もうすぐいっしょに暮らすんだよ。




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いよいよ明日、ワンマンLIVEです。。

2023.3.19(Sun.) 
at 御茶ノ水KAKADO  → https://kakado.jp/
うたうやまねこワンマンLIVE「春は来て、春は往く」
OPEN11:45/START12:15/CHARGE\2,000+1D
配信視聴はこちらから(CHARGE\2,000) → 
https://twitcasting.tv/kakado__/shop

最後の通しリハも終えて、あとはみなさんに楽しんでいただけるようがんばるだけなので、
ぜひぜひ遊びに来てくださいね。