うちには、天使がいます。 48.母の心不全 | うちには、天使がいます。

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ピアノ弾き語り落ちこぼれシンガー・うたうやまねこと、そのパートナーゆかさん、そして寄り目のみけねこメイさんの、命の記録です。


ゆかさんが亡くなって、4か月が過ぎました、
遺骨も、遺品も、まだうちに置かれたままですが、
1年の1/3、あっという間だったようにも感じます。

年も新しい年に変わりました。
これを契機に、というわけでもないですが、ゆかさんのお話を、
(相変わらず不定期更新になると思いますが)再開していこうと思います。

今回のお話は執筆している時点の2年半ほど前になります、
2018年の7月、ゆかさんが3度めの抗がん剤治療を終え、退院したところから始まります。


・登場人物
<ゆかさん>
やまねこの奥さん。2020年9月、卵巣がんにより永眠。
2018年4月初めに腫瘍が見つかり、月末にはトルソー症候群による脳梗塞を発症。
手足や会話に障害が出ながら、摘出手術を経て、2018年7月現在抗がん剤治療継続中。
副作用が徐々に現れつつも、介護保険による脳梗塞のリハビリも動き始めました。
諸事情により、ふだんは実家で母と暮らしています。
<やまねこ>
ゆかさんの夫。
落ち着きがなく要領が悪く、いまいち頼りないだんなさまですが、
たまにライブハウスでピアノを弾いて歌をうたっていたりします。
<メイさん>
17年前にへその緒つきで捨てられていたところをやまねこと出会い、
それからずっといっしょに暮している、寄り目のみけねこ。
かなり臆病な性格で、ゆかさんがさわろうとすると「しゃー」と言います。

(なお、病院関係者のかたがたほかの名前は、すべて仮名です)


季節は暑い暑い夏にさしかかろうとしていました。
2018年7月22日。退院後、うちで週末を過ごしたゆかさんを実家に送り届け、
「来週殺人的な暑さになりそうだって。
抗がん剤も流して出さなくちゃってのもあるけど、熱中症も心配だから、とにかく水分たくさん摂ってね。

もちろんお母さんも」と言いおいて、
やまねこはメイさんの待っているうちに帰ります。

ゆかさんが実家で過ごすようになったそもそものきっかけは、
ゆかさん自身の病気ではなく、その約半年も前、
2017年の8月に母が心筋梗塞を起こしたことでした。
しばらく入院してカテーテルを入れ、無事に退院したのですが、
後遺症なのか重度の腰痛を抱えてしまい、ひとりで自由に動くこともままならなかったため、
ゆかさんが泊まりこみでしばらく面倒を見ることになったのです。

最初はゆかさんもやまねこも「ひと月くらいかな」と思っていたのですが、
母はなかなか回復せず、「3か月くらい」「年内くらい」とどんどん延びていき、
そのまま年を越してしまい、2月にはゆかさんが不調を訴えはじめ、
4月には、これまで書いてきた通り、脳梗塞の発作、がんの緊急手術とそれに続く入院。
ほとんど入れ替わりに母が歩けるようになったのは、皮肉と言えば皮肉なのですが、
母とゆかさん、ふたりとも動けないよりはいいに違いありません。


当時、母は家事に支障がないくらいに回復していて、
ゆかさんも杖を頼れば歩くこともできるのですが、
なぜやまねこといっしょの部屋に帰らず、実家で生活しているのか、
いくつかの、大きく分けてふたつの理由がありました。

ひとつは建物の造りとロケーションに関してのことで、
やまねことゆかさんの部屋は、実家から大きな河をはさんだ隣町、
車で15分くらいの場所にあって、
2016年にゆかさんとメイさんと暮らすために引っ越してきたのですが、
最寄り駅からも徒歩20分くらい、入り組んだ路地の奥にあって、
エレベーターなし3階建てマンションの3階なのです。
(ペットOK縛りとかの条件があって、ようやく見つけた物件なのです)
ゆかさんは現在、通院にはほぼタクシーを使っていますが、
3階の部屋からエントランスまで、階段の上り下りをひとりで行うのは、
まだまだ不安がありました。
その点、実家はマンションの9階ですがエレベーターがあり、
安全に下まで降りることができます。
しかも病院にもかなり近く、タクシーも便利でした。

それともうひとつ、こちらのほうが大きな理由かもしれないのですが、
ゆかさんは住民票を実家に置いていたのです。
やまねこといっしょに暮らす前、
実家から歩いて行けるくらいの場所にアパートを借りていたのですが、
もともと心臓に障害を持っていたゆかさんは、
「川向うの町より福祉が手厚い」という理由で、
引っ越したあとも実家に住民票を残したのでした。
介護保険関係による支援も、住民票のある自治体でしか受けられないので、
現在、週に訪問看護師さんが1回、作業療法士さんが2回来てくれているのですが、
それも実家に来てもらうしかないのです。

それと、昼間ひとりよりはふたりのほうが、
たとえふたりとも体が不自由であったとしても、もしものことがあったときに安心、
というのもありました。
週にいちど、だいたい水曜日にやまねこも仕事帰りに買物をして立ち寄り、
週末はやまねこのうちでいっしょに過ごすというのが、
このところのパターンになっていました。


さて、7月23日からの「殺人的な暑さ」と予報された一週間は、
いきなり最高気温39℃という発火しそうな猛暑で始まりました。
ゆかさんからは、
「予定通りリハビリできたし、食欲もあるから大丈夫よ。
お水も飲むよう気をつけたし。
でもおかあさん少しへばってるみたい。
それよりメイさん大丈夫?きのうもすごく元気ないみたいに見えたけど」
と、心配してくれるメールが届き、
やまねこは「大丈夫。メイさんたしかに伸びてるけど、
こういうときはあんまり動かないのも動物の知恵だと思うよ」と返信しました。

ただ、翌24日ゆかさんから届いたメールは少し深刻でした。
「今日もすごく暑かったけど、私は多分大丈夫です。
でもおかあさんが、昨日からほとんど動けなくなってしまいました。
息が苦しい、胸がドキドキするっていうから、酸素計ったら何度計りなおしても、
95までいかなくて、ちょっと動くと苦しそうで、こんなこと今までになかったから、
救急車呼ぼうかっていったけど、大丈夫だってきかなくて、
今朝病院電話したら念のため出来るだけ早く来たほうがいいっていうので、
明日病院につれていこうと思います。
心臓の通院の予約は8月8日にあるのだけど、
珍しく自分で明日行きたいっていうから本当に苦しいのだと思います。
今までに見たこともないくらい苦しそうなので、
心臓じゃないといいけれど」

「酸素を計る」と言うのは、酸素濃度計というもので計るのですが、
どこの家にでもあるものではないと思います。
手の人さし指をはさむ?はめる?ようにして、体内の酸素量を計る機器で、
ゆかさんは病院では常に装着されていたのですが、

その家庭用版です。通販で売っています。
計測値(最大100)が95を下回ると「心配」で、
90を下回ると「やばい」そんなふうに聞いたおぼえがあります。
「あした病院、気をつけて行ってきてね。
少し良くなって『大丈夫』って言いだしても、強引に連れてってあげて。
心配だけど、ゆかさんまで体調崩さないように、水分摂って涼しくして過ごして。
必要なものあったら買っていくから、言ってね」


翌25日、水曜日。
午後、病院のゆかさんからメールが届きました。
(ゆかさんのかかりつけとは別の病院です)
「心配かけてごめんなさい。
おかあさん、胸水がたまっていて、心不全をおこしていてそのまま入院です。
うまくいけば1~2週間位だそうです。
心筋梗塞のほうは大丈夫そうです。
とりあえず命の危険はなさそうだけど、
今後のこと相談させてもらうことになるかと思うので、夜電話していい?」

心不全!?

「ゆかさん今日は何時くらいまで付き添いなの?
電話より直接話したほうがいいと思うから、病院か実家まで行くよ。
予定わかったら教えて」
やまねこの仕事が終わったころ、ゆかさんから、
「今うちに帰ってきました」とメール。
「じゃ、帰りにバスで実家寄るね。
晩ごはんいっしょに食べる?なにか買っていくよ」

またまた非常事態になってしまいました。

実家に着くと、ゆかさんは「頭が痛いの」と言いました。
「病院で血圧計ったら下が100超えちゃってて、
やっぱり動揺してたみたい」
「今は大丈夫?」
「うん。リーゼ飲んだから」
いっしょに晩ごはんを食べながら相談します。
「あした荷物持っていかなくちゃね」
「うん、おかあさんから要るもの聞いてメモしてきた。
あしたがんばってまとめるよ」
「仕事終わったら迎えに来るね」
「ごめんね、おかあさんのことまで」
「気にしないで。それよりゆかさん今夜ひとりだけど、
できるだけリラックスしてゆっくりやすんでね」

自分ひとりが歩くこともたいへんなのに、
母を支えて病院まで行ってきたゆかさんが、
とても頼もしく感じられました。


そして26日木曜日の夜。
やまねこは車でゆかさんを迎えに行き、
荷物を積んで病院へ向かいました。

母は思いのほか元気そうで、
ベッドの脇に立ち上がることもできるくらいでした。
がまんせず、早めに対応したのがよかったのかもしれません。
ただ、全体的に心臓の機能が落ちてしまっているようでした。
母は入院生活の不便さなどについてつらつら話したあと、
「水分の摂りすぎが良くないんだって」と言いました。
「一日に2リットルまでって言われちゃったわよ」

はっとしました。
猛暑が来る→熱中症が心配→とにかく水を飲め飲め、と、
ひとつ覚えのように言ってしまっていたのはやまねこだったからです。
いつだってなんだって、正解は誰でも同じではありません。反省しました。


すぐに面会終了の時間になってしまったので、
あわただしく荷物を置いておいとますることになりました。
「せっかくだから、どこかでいっしょに晩ごはん食べていく?」
「うん」
ファミレスに寄っていくことにしました。
母の入院自体はけっして喜ぶようなことではありませんが、
いっしょに食事できるのは素直にうれしいのです。

「入院、『うまくいけば』1~2週間なの?
ってことは、それ以上になる可能性もあるのかな。ずいぶん幅があるね」
「うん。だからわたしの入院と重なっちゃうかも」
ゆかさんの、4回目の抗がん剤の入院は8月7日からの予定です。
「それまで、ゆかさんひとりで大丈夫?もちろんうち来ててもかまわないけど。
昼間はやまねこ仕事行っちゃうけど」
「でも、ほとんど毎日だれか来るの。看護師さんとか作業療法士さんとか、
お掃除のヘルパーさんとか(これは母の介護保険で)、あと生協の配達も。
だから実家にいなくちゃだし、大丈夫よ」
「そう?でもなにかあったらすぐ連絡して。
お買い物はやまねこがして届けるし、
おかあさんのところもできるだけいっしょに行けるようにするから」
「ありがとう。今までより少したいへんかもだけど、がんばるね」
「そうだ。台風来てるって。土曜日がピークらしいけど。
週末うちで過ごすよね」
「うんお願い。月曜日検査で通院の日だから準備もしなくちゃだけど、
いっしょに過ごせたらうれしいな」
「じゃ、あしたの晩迎えに行くね」

少し遅い時間になりましたが、
ゆかさんを送っていきました。
またも予想外のできごとでばたばたの一週間でしたが、
なんとか落ち着いて週末を迎えられそうでした。