阪神淡路大震災から、17年です。
あの頃、私は、まだ、独身で、広島で働いていました。
あの日の明け方、揺れで目を覚まし、当時、九州でもよく地震があったので、
九州で地震かと思い、テレビをつけました。
そうすると、神戸で大きな地震と…。
神戸は、私が大学生活4年間を謳歌した町。
びっくりして、すぐに、西宮で一人暮らしの友人にTEL。
つながりません…。
会社に行くと、会社もばたばた。神戸にお店、尼崎に事業所があるからです。
仕事の合間に、公衆電話で友人にTEL。
全然つながりません。とうとう、友人の実家に…。
お母様が出られて、さっき電話があって無事でしたよ、と…。
涙が出ましたよ…。
そのほかの友人も、みんな無事。ほっとしました。
それから、2ヵ月後、当時、食パン開発の担当をしていた私は、
西宮のパン屋さんで売れている食パンを見て、買ってくるという
お仕事を命じられました。
まだ、新幹線や電車も寸断されている中、日帰りで…。
朝早く出て、姫路までは新幹線で。
その後、JRやらなにやら乗り継いで…。
途中からは、もう、目が開けていられませんでした。
アパートの手すりが、波打って曲がっていたり、
1階部分が、つぶれて、テントが下についたおみせとか。
ビルの、窓が全部おちて、3,4階がつぶれているとか。
ちょっと私かっこ悪いけど、涙止まらない…。呆然。
でも、パン屋さんのある辺りは、被害はあまりなかったみたいで、
一生懸命、たくさんのパンを焼いていらっしゃって、
たくさんの方が買いにこられていて。
ちゃんと、立ち上がってるんだ、という感じでした。
そして、17年。
今も、心に傷を残している方はたくさんいらっしゃるでしょうけど、
まだまだ、大きな課題を残していたりするんでしょうけど、
いろんな人を楽しませてくれる街に、神戸はよみがえっています。
本当にすごい。
毎年、その、西宮の友人に会いに、行ってますが、
(友人もその後結婚し、うちの子と同い年の女の子がいるんです)
表からはあの時の様相をみることはありません。
でも、でも、あの時の、あの日のことは、
他にあったいろんなことを忘れても、私には忘れられないのです。
目に焼きついているのです。
遠くにいた私でも…。