全小中学校で、校内1か所について全個室化とした神奈川県大和市。そのきっかけとなったという市議会の答弁を、議事録の検索システムで見つけた。

 2016年3月の定例市議会の一般質問で、男性議員が質問している。少し長いが引用する。

 

 【よく児童のお父さん、お母さんから聞く問題の一つに、下校中に男子生徒が大便を漏らして帰ってくるというもので、我が家も例外ではありません。学校で大便をすること、これは下ネタに敏感な小学生にとってかなり重くのしかかってくる問題であります。女子は全て個室で用を足すので、さほど重要視されませんが、男子は男子トイレが小便器と大便器に分かれ、大便をするとすぐにばれてしまい、あいつがうんこマンかなどと騒がれ、教室に戻ればからかわれたりしてしまいます。いじめの対象になっていると思います。子供たちにとって誰かが大便をするということは大事件なのです。催したら自宅に帰るまでひたすら我慢することしかできなく、我慢できずに下校中に漏らしてしまうのでしょう。近所の子供が私の事務所にトイレを貸してくださいと駆け込んできたケースも一度ありました。】

 

 この報告は2016年のこと。私が小学生だったのは1980年代。35年前と同じ状況が、ここ大和市でも起きていることがわかる。

 

 【自分の子供時代を思い出してみても、大便所に入ったのがばれ、上からトイレットペーパーが降ってきたりとか、授業中に抜け出して小便をするふりして、わざわざ授業を抜け出し、トイレに行ったり、ほかの学年のトイレで用を足したりしていた覚えがあります。また、下校中に道路の隅や駐車場でこっそりという経験も、きっと多くの方が経験したのではないでしょうか。】

 

 この議員が、どこの地域の小学校に通っていたのかは、議事録からはわからない。

 が、いずれのエピソードも、見たり聞いたりしたことがある。

 

 私が体験したことも、いくつかある。

 個室利用後に教室でからかわれたこと。

 他の学年のトイレで用を足したこと。

 ひたすら我慢したこと。

 下校中に漏らしてしまったこと。

 

 【優等生だった同級生が漏らしてしまったときは、悲惨なあだ名をつけられ、今でもそのあだ名で呼ばれてしまっております。最近の子供は恐らく我々の時代よりもデリケートであると思われますので、子供たちにとっては大問題であると言えましょう。時代が移り変わっても子供の本質は同じで、現在でも学校のトイレで個室に入った男子児童をうんこマンなどとからかう現象はあるようです。今でもいじめの温床の一つになっている可能性があります。】

 

 気の毒な優等生君。何年生の時だったのだろうか。悲惨なあだ名とは何だろうか(だいたい想像できるが)。

 そして、そのことを30年以上たって公の場で言われてしまうのは、二重被害ではないのだろうか。そんな悲劇を繰り返してはいけない、という議員の主旨はわかるのだが。

 

 その後、茅ヶ崎市、下関市、高松市の個室化事例を紹介し、大和市に対して個室化を求めている。

 今と昔の小学生男子の置かれた苦境を具体例をもって伝え、他の自治体の先例を調べて要望する。かなり説得力あふれる質問だと思う。

 

 市側から前向きな答弁を引き出したあと、こう訴えて締めている。

 

 【小学校や中学校のころ、学校でトイレに行くのが恥ずかしくて、我慢した経験がある方も多いのではないでしょうか。大人になってしまえば懐かしい思い出の一つの経験になるとは思いますが、当事者の子供たちにとって用足しをからかわれることは深刻な話だと思います。子供の無邪気なからかいでもいじめの発端になることがあります。特に学校の男子トイレは、小便器と大便器のある個室に分かれていることから、個室に入るイコール大便とすぐわかり、からかいの対象になりやすいものです。個室トイレがあれば、トイレの中はブラックボックスとなり、自由度は大きく増し、子供たちにとっての大問題は解決に向けて大きく前進するかもしれないと考えます。いつの時代も子供は無邪気で、時に残酷です。トイレ問題にどのような対策をとるにしても、大人が子供に真剣に対峙することが大切であり、子供目線に立ってくださった大木市長に感謝申し上げます。

 

 そう、多くの大人は、忘れてしまうのだ。あるいは懐かしい思い出として昇華してしまうのだ。

 でも、全員がそうだとは限らない。

 漏らしてしまって「悲惨なあだ名」を付けられた優等生君は、どうだろうか。笑い話にできているのだろうか。

 いじめられた子もいるだろう。学校に来れず、不登校になってしまった子もいるのではないか。

 

 私は、懐かしい思い出にはできずにいる。「笑い」にもできない。

 忘れること、昇華することは、結果的に、子供たちが置かれたつらい状況を放置していることにつながっている。

  

 あえて昔の出来事について考え、今の動きを追う。それが、昔、子供の頃に傷ついた心をいやすことにもなり、今の子供達が心地よい学校生活を送れるようになることにつながると思っている。