私が小学校生活で最もつらかったのは、トイレ、とりわけ個室に入ることをからかわれることだった。

 言い換えれば、学校にいる間は、うんこを我慢しなければならない、ということでもある。

 

 1年生の2学期、個室に入った時に、上から複数の男子児童に覗かれて、はやし立てられた。

 なぜ排泄行為をからかうのか、理解できなくて、驚き、戸惑い、怖くなった。

 

 小用の時は、からかわれない。

 個室に入ると、標的になる。

 

 なぜそんな行為をされるのか、理解できないまま、私は、その「結果」だけを機械的にインプットしてしまった。

 学校でうんこをするといじめられるのだ、と。

 

 それから私は、学校で便意を催しても、ひたすら我慢した。

 でも、当然だけれど、体調が悪くて、我慢できない時もある。

 1年生の時は学校からの帰り道で、2年生の時は教室で、漏らしてしまった。

 恥ずかしく、情けなく、悲しかった。

 自尊心を激しく削られた経験だった。

 

 高学年になってからは、勇気をもって授業中にトイレに行かせてもらったり、休み時間に個室に入ったりできるようになった。

 しかしそれも、周囲から笑われる覚悟が必要だった。

 なんでこんないやな思いをしなければならないのだろう。

 何度もそう思ったが、おかしい、と声を上げることはできなかった。

 

 同じような経験をした男性は少なくないと思う。

 女性でも、似たような経験をした人が一定数いるのではないだろうか。

 男性のように個室に入るだけで馬鹿にされることは少ないかもしれないけれど、授業中にトイレに行くのは、男子と同じく恥ずかしかったに違いないし、それをからかうクラスメイトもいただろう。  

 

 この風潮・悪習は、本や新聞、ブログなどを読むと、時代を問わず(時代によって濃淡はあるにせよ)、全国各地に存在するようだ。その理由は、あまり研究されていない。以前紹介した村上八千世さんのコラムが最も詳しい印象だ。「なぜか」については、また機会を改めて考えてみたい。

  

 生理現象をからかう。これは本当によくないことだと思う。

 排泄はすべての人がすること。

 生きていくために必要な自然現象について、恥ずかしい思いをしたり、プレッシャーを感じたり、そのために我慢したりーーといったことは、とてもつらいこと。からかう、笑う、馬鹿にする。これらの行為は、人間の尊厳を損なうことだ。

 

 入学直後に、排泄を我慢しないこと、馬鹿にしないこと、失敗しても笑わないことーーを伝える「トイレ教育」「排泄教育」を必ず行うようにしてはどうだろうか。素直に言うことを聞いてくれる間に、子供たちに教えること、問題が起きた時にしっかりと注意すること。いじめと同じで、常に、教え続ける、諭し続けることが大事だと思う。