明治天皇の長崎行幸-崩御から百年、明治五年行幸を振り返る | 日本会議長崎のブログ

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本日7月30日は、明治45年に明治天皇が崩御されてより百年という節目に当ります。
明治神宮では明治天皇百年祭が斎行されます。

この明治時代から百年を記念して、さまざまな事業が取り組まれていて、出版関係でも、「明治の御代―御製とお言葉から見えてくるもの」(勝岡寛次著/明成社刊・本日発行)など各種の書物が記念出版されています。

ここでは、「絵画と聖蹟でたどる 明治天皇のご生涯」(打越孝明著・明治神宮監修/新人物王来社刊・本日発行)等に拠って、明治五年の長崎行幸を振り返ります。

明治5年(1872)5月、明治天皇は軍艦「龍驤」に乗艦されて九州・西国巡幸に出発されました。御年19歳であられました。参議・陸軍大将西郷隆盛が筆頭供奉員を務めて随行しました。

6月14日(新暦7月19日)、明治天皇が長崎港に入られると、長崎の人びとは注連飾りや「万歳奉祝」と書かれた提灯を戸毎に掲げて奉迎しました。また、長崎港に入港していたロシア艦船なども祝砲を放ち、夜には灯りをともして祝意を示しました。長崎を囲む四方の山々にも燎火が焚かれ、家々の提灯の灯りも加わって市内が明るく輝いたといいます。

明治天皇は、現在の長崎地方裁判所・家庭裁判所の所在地に行在所を定められました。これを記念して、この付近の町名が「島原町」から「万歳町」に改められました(現在は「万才町」と表記)。

翌15日は、行在所で県下各地の産物や県民所蔵の古書画などの文化財をご覧になられました。16日には、早朝から行在所をご出発になり、長崎県庁、官営の長崎造船所や小菅修船場等をご視察になりました。当時、長崎県庁があった長崎歴史文化博物館には、「明治天皇臨幸之址」(昭和十一年十一月一日)と記した石碑があります。
17日早朝、明治天皇は再び「龍驤」に乗艦され、熊本県(当時は「白川県」)に向けてご出立になられたのでした。

地元史家によれば、小菅修船場は薩摩藩とグラバーが協力して建設したものです。現在、その跡地は国の史跡に指定され、日本機械学会の機械遺産第一号にも指定されるなど、代表的な近代産業遺産に数えられています。

明治神宮・聖徳記念絵画館には、この時の長崎ご到着の様子を描いた「中国西国巡幸長崎御入港」と題された壁画が掲げられています。この絵は、長崎出身の洋画家・山本森之助が描き(昭和三年十二月完成)、長崎市が奉納したものです。
山本は、虚弱な体にもかかわらず綿密な調査や実景の写生に数ヶ月を費やすなど製作に精魂を傾け、完成から十日ほどの後に急逝しました。


$日本会議長崎のブログ-中国西国巡幸長崎御入港
「中国西国巡幸長崎御入港」 山本森之助作