◆ 例えばこんなもの
一般論ばかりでは扱いづらいので、具体的な例を使って論じてみましょう。前述の「農業シミュレーション」という案を考えてみます。
現実問題として「農業をモチーフにしたゲーム」自体は既にあるわけですから、これをプレイしてみるという手もあるでしょう。弱点・問題点なども見つかるでしょうし、修正や改造によって一気に解決を図りうることなども考えつくかもしれません。これが改良的アプローチということになります。
一方、既存ソフトのことなど気にせず、自分独自で農業ゲームを見つけていくのが、他の2つのアプローチです。
ストレートに考えれば、ここで有効そうなのは構成型アプローチです。家庭菜園が趣味として成立していることからもわかるように、農業はエンタテインメントたりうるだけの面白さを持っているはず。その理由を考えて「どうしたらゲームとして再現できるのか」につなげるわけです。
では、プレイヤーにどんな経験をさせれば楽しんでもらえるのでしょうか。
先に"マウスで「畑」のグラフィックスをクリック"などをだめな例として挙げました。これがDSのタッチペンやWiiのリモコンになったとしても、だめという点では変わらないでしょう。《*3》
世界初!Wiiリモコンをクワに使って畑を耕す、斬新な操作感覚
なんて言われても、とても楽しめそうにありませんね。
まず、自分が直接それを行うのではなく、命令を与えることで間接的に行うという方向性が考えられます。ロボット耕作機にコマンドを与えるとか、チームのボスとして個性あるメンバーを適材適所の配置をすることで目的を達成するというようなものです。
あるいは「現代日本の方法」という固定観念からの脱却というのはどうでしょうか。焼き畑農業から大規模プランテーションまで、様々なスタイルの農業があるわけですから、そのなかの「楽しい経験」をもたらせるものを考えていくのです。(個人的には、焼き畑から始まる原始農法がちょっと楽しそうに思えます)。
また、農業そのものよりも、そのための環境を作る部分に注目するという手もあります。千枚田をみると作った先人の労力にめまいがしてきますが、同時に魅力的でもありますね。山を削り水路を築いて、全ての田んぼに十分な水を流し込めるようにする、など。そしてこの領域まで踏み込んだ以上、さらにスケールを大きくするということもあるでしょう。川をせき止め、用水路を掘削して大地をうるおす......例えばこんな感じで。
あなたは、世界的に有名な農業技術者です。
某大国の依頼を受け、手つかずの国土を開拓することになりました。
ダムや用水路を造ったり湖を干拓したりして、生産高を高めましょう。
ただし、やり過ぎは弊害をもたらしますし、
どこかでの改良が別の場所へのしわ寄せをもたらしてしまうかもしれません。
あれこれと調整しながら、大目的の達成を図っていきましょう。
この場合、経験の内容はむしろ土木なのですが、「収穫」という最終目標はそのまま残すことができます。