90年代に、オートバイの世界グランプリを観ていた方なら、知らない人はいないと言う程有名なレース。
18歳で全日本ロードレースにデビューし、僅か1年でチャンピオンとなった阿部典史選手が、翌年日本で開幕戦として行われた世界グランプリ・鈴鹿ラウンドのGP500(当時はGP1とも呼ばれていた最高峰クラスで、4輪で言う所のF1に当たります)に、ワイルドカード(開催国選手の特別出走枠)で出場した時のものです。
このレースでの阿部選手は、GPデビュー戦にも関わらず、世界チャンピオンのK・シュワンツや、前年度ランキング4位のM・ドゥーハンと激しいトップ争いをし、世界中の度肝を抜きました。
GPでは全く無名の日本人選手が、世界の名だたるトップライダーと抜きつ抜かれつのハードバトルを繰り返し、トップを走る。
小排気量クラスなら、今までにも初出場でトップ争いをした日本人はいますが、阿部選手の場合は最高峰クラスで激しいバトルをしたと言う事で、そのインパクトは強烈でした。
これは普通に考えると、とてもありえない事で、当時僕は2コーナーの立ち上がり付近に居たんですが、あまりの興奮に、足が震えそうになったのを覚えています。
そして、残り3周。
衝撃の展開が待っていました。
<真っ赤のマシンに薄緑のゼッケン56が阿部選手>
阿部選手は、この時のレースが、元・世界チャンピオンのW・レイニーの目に留まり、翌年から世界GPフルエントリーを果しました。
あれから、世界のトップで活躍する日本人ライダーは何人か現れましたが、阿部選手のような強いインパクトを持った選手は見かけません。
日本では、あまり認知されず低迷する2輪モータースポーツ界には、阿部選手のようなスターが必要不可欠。
近い将来、沢山の日本人が注目してくれるようなスーパースターが現れてくれる事を切に願います。