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NATSUKO

『自由への覚醒』

私は、
生まれたときから入っていた
ある仏教系の宗教を

36歳のときにやめた。
(やめた経緯は長くなるのでまたいつか書きます)



その宗教のホームページには

『「万人の幸福」と「世界の平和」の実現が
目標』と書かれているが、

実際は

その宗教の支配者たちと国の権力者は
つながっていて

ここ数年、

「庶民から奪い権力者が栄える国」
「戦争ができる国」

の実現にせっせと協力していた。
(信者を騙して政党を支援させて、妙な法律をたくさん作った)



そして、組織内で、

おかしいことにおかしいと
声をあげた人のことを、

悪人のレッテルを貼って
みんなで村八分にする

ということを平気でやっていた。



組織のやっていることが
おかしいと気づいている人も、

自分が村八分にされるのが怖くて

堂々と組織におかしいと言えない。


自分が誉められること、得することは
必死にやるのに、

弱い者いじめは
見て見ぬふりをする。
(もしくは加担している)



その時点で、

「人のため世界の平和のため」

というのは嘘で、

「自分さえよければいい」
「人に認められて誉められればいい」
「仲間に入れておいてもらえればいい」

というのが本心だとわかる。





「役職が上の人間が人間としても上」

と、全員が思いこんでいる世界。


そして

これが宗教の特徴だと思うのが

「自分は100%善で正しい」

(だから自分は変化しなくていい。人は変化させてあげなければいけない)

と思いこんでいる。



もちろん
そう思ってはいない人もいる。


でも、
組織のほとんどの幹部は

「自分は特別」意識がある。



だから、

役職が下の者が上の者に
対等に意見を言う

という行為は、となる。


よって

「悪を裁くのが正義」

となり

「悪に対しては何をやってもいい」

「だって自分は正義だから!!」

となる。



でも、本当は自分に自信がない

恐れず自分の意見を言う人間は怖い。

だって自分たちが偽物だとバレるから。


だから、

恫喝、無視、レッテルを貼る、集団で村八分

という行動にでる。



集団いじめ、無視、権力には媚びる。。。



「すべての人は平等に仏」だと

教えたり学んだりしている人たちが

最もそれとは真逆の行動をしていた。

(だからどんなに高尚で立派な教えも、本当の自分を生きていない人には意味がない!)



でもそれは、

その人たちが悪いわけではないと
今はわかる。



みんな、

「存在しているだけでは価値がない」
「条件つきでないと愛されない」

という不安の観念を持っているため、

本当の自分に自信がない。


だから、

「大きな組織」「役職」「権威のある人」

を自分の中心に置いてしまっている。


そして

どんどん本当の自分からズレて

外側に自分を良く見せることばかりに
意識が向かうようになり、

組織にしがみつかないと生きていけない
人間になってしまっているのだ。

(恋愛依存性の女性が、男性を自分の中心に座らせてしまっているのと同じ)



おかしいことにおかしいと言わず
要領よく組織についていたら

誰にも批判されないが

なんのために生まれてきたのか、

本当の自分で生きる喜びが
一生わからない。


私は、

村八分にされるのを覚悟で
組織に疑問の声をあげ

結果、見事に役職解任になり、

村八分にされた。





その後、

私は宗教をやめ、

自分の生き方、環境を変えて

我慢を全部やめ

今は一日中、

好きなことやワクワクすることだけをして

生きられるようになった。


世界の平和は

今ここで
本当の自分を生きることしかない。


宇宙の流れに一致することは

仲介業者(宗教)を介さなくても

いいことに気づいた。




でも

今の状態になる前は

怒りや恨みが体にたまって

苦しかった。



そして、

この苦しさの原因は

長年、

私とは合わない人が多い宗教の世界で

「組織に適合できない自分は悪い

自分を裁き、
我慢をし続けてきたからと、


「〇〇な人は悪い」という

固定観念で

人を裁いているからではないかと
気づいた。




そして、

いったん恨みや怒りを

一人で吐き出した後に、


何人かの、
いい人の仮面をかぶった嫌なヤツを思いだし

「人を見下すヤツは悪い」

という自分の思いを

まず100%認めた。



その上で、

「じゃあなぜ

人を見下したら悪いんだろう?」

と、

自分に問いかけてみた。





そしたら


「、、、、、あれ?なんで悪いんやろう」


と、まず思った。


そして、

「人を嫌な気分にさせるから」

「勝手に上下優劣を決めてるから」

「迷惑だから」

と、いろいろ出てきた。



「じゃあなぜ迷惑をかけたら悪いんだろう?」

と、また聞いてみた。





「いや、道徳的に悪いから」







「なぜ道徳的に悪かったら悪いんだろう?」







「、、、とにかく悪いから!」

「私が不快だから!」

「ムカつくから!」

と、

完全に論理が破綻した。




そして最終的に



「別にいいやん、見下しても」



というのが本音だと気づいた。




そしたら

ほっとして

苦しかった心が軽くなった。




そして、

相手は

それをやったらどうなるかを

今、体験して学んでるんだから

とことんやればいいんじゃないか


私も、やられたら

どんな気分になるかを

体験できた。


だいたい、

本当に満たされている幸せな人は

人を見下したりいじめたりしない。


よく考えれば

そういう強烈に嫌な人がいなければ

私は

変わりたい!

ここから出たい!

と強く思わなかった。


嫌なこと、疑問に思うことに対して

ずっと我慢すること

エネルギーを使い、

望むことを追いかける

パワーすらわいてこなかった。



そしたら

気づかせてくれた人たちは

私にとって

誰よりも恩人じゃないか!


嫌な役をやってくれてありがとう!!!

と思えた。






次回に続きます。