亡くなる10日ほど前頃からか、おっとはとうとう、自力で長く座位を取り続けることが難しくなった。
前と変わらないようすでベッドに掛けているのだが、1分するかしないかで、ころん、と後ろにのけぞるようになっていた。
だるまさんを彷彿とさせるその姿は、わたしには愛らしく、なんだか可笑しく見えたが、本人は、どんな思いだったのだろうか。
ALSを患ってから、4年が経った。
少しずつ少しずつ、体の自由が奪われていく。ほんとうに少しずつ。
でも、確実に。
そして戻らない。
患者によるそうだが、おっとのALSは、言い表すことも難しいほどの神経的な激痛や皮膚の違和感、痺れなど、肉体的な苦痛にも間欠的に苛まれていた。
その苦しみのため、睡眠もまともに取れない、ほとんど不眠の夜が続いていた。
苦しかったと思う。
延命的治療は気管切開をして呼吸をつなげば可能だ。だがおっとは、人にとっての死の定義が、長らく重度障害児の介助を仕事としてきて、時に死と隣り合わせでいただけに明確で、気切は当初から否定していた。
気切をしないならば、平均余命は罹患から4年ほどか。その時期が近づいていた。
明日は1月18日。去年のあの日の午後、わたしは在宅勤務中休憩を取って、おっとを車いすに乗せ、おっとが行きたがった近所のコンビニまでデートをした。
そう、あれはデートだった。
冬の輝く光の野川にかかる橋を、力のコントロールが難しくなって電動から手押しに変わったばかりの、ピカピカの車いすをわたしが押した。
初運転だった。
おっとはわたしの運転が遅すぎると立派にクレーム。くやしいわたしはでき得る範囲で最高速度で走ると、気づくと道はごく緩やかに下っていて、制御が効かなくなりそうになってアセりまくった。
帰り道の上り坂を押しながら、普段まったく使っていない辺りの脚筋を酷使しているのに気付き、これからの新車いす生活で鍛わって育つであろう我が太ももを夢想もした。
仕事の合間のわずかな時間だったが、おっとは好きないちごの甘いものを買い込み、わたしはちょっとした運動ハイで、帰って3時のおやつをいただいた。ふたり穏やかな、満ち足りた時を過ごした。
きっと、おっとに思い残すことは無かったのだと思う。
その明る未明の19日に、おっとはそっと逝った。とても、穏やかな顔をしていた。
ちょうど1年。いろいろと込み上げるものもあるし、まぶたは腫れてぐらいはいるけれど、わたしは元気です。ほんとです^^。
(おわり)