3月の健診で要精密検査で引っかかった右胸の腫瘤は、悪性だった。

今は一通りの診断のための検査を終え、詳細な結果を待っている。次の診察は13日月曜日だ。

これまでで一番ショックだったのは、医師に見せてもらった健診時のエコーの影が、予想外に立ち上がっており、形も上部がいびつになっていたのを見たときだ。

良性のしこりだと、扁平で、低い富士山のようになだらかな外周をしていることが多い。

医師は、

「このエコーだけでは何とも言えない。がんが隠れているかどうかを、先ずみてみましょう」

と話してくれたが、エコーの影でわたしは、半ば覚悟が決まった。


無罪放免だったらいいのに、とは思いつつも、

「やっぱり残念ですが細胞からがんが見つかりました」

と、次の診察で告げられたときには、仕方なし、とだけ思った。


でも、今、詳細な画像検査の結果から見えてきたものは、案外悪くない。

腫瘍の大きさは12mmから16mmで乳管がんであること、すでに乳管からは浸潤が見られるもののリンパに転移は無さそうで、ステージIと言えそうなこと、そうした現時点で画像的に分かっていることが実際の細胞の顕微鏡検査でも確認できれば部分切除が適用できそうなこと(乳輪部分も残せる)、などである。

全摘を覚悟していたので、今、選択肢が示されたことだけでもありがたく、うれしい。

残りについては、がんの種類が特定されるのを待っている。だいたい20種類ぐらいがあるらしい。そのうちのどれなのかが分からないと、どの治療法(薬剤の種類、治療スケジュールなどなど)が有効なのかが定まらない。

願っていたのはできるだけつらくない治療に落ち着くこと、もし、もしも可能ならば乳房の温存ができること、リンパ節の切除をしないこと、だったので、まだ未確定ながらそのかなりの部分が叶いそうで、少しほっとしている。

あとはなるようにしかならない。


この間、無治療についても考えた。

だって、生きることはこの上なくめんどくさい。人生100年時代なんて、脅しにしか聞こえない。

自分を経済的に支え続けることだけでも、たいへんなことだ。

いっそ寿命をここらで終えるのも、悪くないのでは。

1月にALSで逝ったおっとが呼んでいるのかもしれないし。

そんなラクな道を夢想すると、虚無に襲われた。何もかもが厭になり、どうでもよくなる。

どうでもいいなりに時間を過ごしていらうちに、人生は生き抜くしか無いことを、改めて心することを教えてくれる人に出会い、現在に至っている。

おっとは、わたしに生き抜いて欲しくて、出来るだけの無事を祈りながら、逝った。わたしの先を心配に心配をして、幸せを祈ってくれていたおっとが、わたしを呼ぼうとするはずもない。

自分の命は自分のもので、どうしようと決めるは自分だけだ、という考え方もあろう。

でもわたしは、命というものは、自分だけで成立している訳では全く無く、あらゆる物から生きるものから人までを含む、他者との繋がりの中に在って生きられるものだと信じている。

そうであれば、自分の命とて、好きに期限を設けるなど、基本的にはできない、とするしかない。

例外はあると思う。でも、今のところ、わたしは例外には該当しない。

粛々と、治療を進めるつもりである。

がむばる。

(つづく)