おっとの2回目の月命日が過ぎた。

自分でセットしていたスマホの予定表で、夜中に気付いた。それを見て、おっとが励ましてくれているように感じられ、自然と笑みがこぼれた。



それまでの、この2週間ほどは、苦しかった。

おっとを死なせてしまったことで、今更自分を責めてもしようがないのだけれども、もしわたしがあのとき気が付いて、あの人と話ができていれば、おそらくおっとは、まだ生きていただろう。

その、与えられたかもしれないおっとの生には、喜びがあったのではないか。引き延ばされ、心身が病気でつらいとしても、だ。どうだったのだろう。

その天秤をかけてみることを止められなくて、考えあぐねて泣いていた。
何もやる気が起こらなかった。

それで良いとした。
何もかもを放っておいた。

仕事だけ、辻褄を合わせられれば、あとはもう、おざなりで済ました。

気付かなかった、自分のうとさが何とも、憎かった。



そういう、誰かに頼りたいときほど、周りには誰もいない。
自分独り、耐えていた。ただ、泣けて泣けて、涙が出て堪らなかった。

おっとに、ごめんなさい、と、謝り続けていた。

ボロボロの気持ちで1日がまた過ぎゆき、いつしか眠っていて、朝が来ていた。

寝起きの目の腫れた顔を鏡で確認しに行くと、ふと、おっとが、わたしの頭の中に、囁きかけてくれた気がした。


 のきこさん、泣かないで
 悲しまないで



何度か、わたしはそのことばを、繰り返してみた。

 泣かないで
 悲しまないで



スーッと、ことばが胸に入ってきて、腑に落ちた。

 あ、
 なおきさんは、わたしを
 悲しませたくないんだな

 悲しむべき、
 そんな亡くなり方を
 きっとしていないんだな


そんなふうに、思えた。



鏡の目は多少腫れていたけれども、久しぶりに、こころから光が射すたぐいの、笑顔が込み上げた。



それから、また、あまり泣かなくなった。おっとのブログを読んでも、泣かない。

いや、まだ、ブログは弱い。


なんというのか。わたしは、おっととは、もっと心理的に距離があったと、思い込んでいた。惚れるより惚れられている、と思ってきていた。

でも、片方の終わりを迎えて、今、思うのは、ふたりの仲は良かった以上に深かったし、わたしはきっと思っていた以上に、おっとにいつの間にベタ惚れだったのだろう。

これからも、おっとに支えられて生きていくことを、覚悟した。

(つづく)