おっとが逝ってから、早くも仏教でいうシジュウクニチが目の前に来ている。

仏教でも何でもないのだけど、きっと歴史に裏打ちされるスケジュール感は、人の理にかなっているだろう、と、そろそろ納骨を考えている。

なのに、樹木葬を正式に申し込めていない。汗汗



この間、ずーっと、ゆっくり、ぼんやり過ごしてきている。夫婦2人住まいは、1人が抜けると、残った方はひとりぽっちだ。

仕事も上司のことばに甘えまくり、ほぼずっと在宅で働いているが、それって裏を返すと、誰とも一言もじゃべらなくても生活が成立してしまう、ということで。

非人間性に自分で呆れ、なら出社でもするか、と、考えているが、行動はなかなか伴わない。



とはいえ、そこそこ元気に過ごしている。

おっとが生きてそこにいたらわたしを叱りつけるであろうことだけは避けて、たとえばしっかり食べるとか、ちゃんと眠るとか、その2点については合格なので、他が落第でも、良しとしている。

までも、事務処理や、お洗濯なんかは、しっかり、ペースを保って進められている。今は部屋はとっ散らかってはいるけど、順番を押さえているので、進めば片付くのも分かっている。

あとは、花粉症対策を、今年は特にひとりでいても抑うつっぽい方向に倒れないよう、念入りにあれこれ試してながら、わたしなりの方策を立てており、なかなか良いかんじ。

アトピーが悪化してしまうとわたしの場合、危険信号なので、とにかくそこを重点的に。多少コストを掛けても、効きそうなものを見付けてはつづけてみている。

肌にバリア。これがキーワードのようだ。


おっとには、何度となくコロしてくれと、懇願された。それはさすがにできない事だから、どうか言わないでくれ、と頼んだが、それでもさらにまた言われたこともあった。

おっとだって、残すのが心配でならない歳の離れた妻を、犯罪者にしたい訳では全く無いことは分かっていたが、それでもその言葉が出てしまうほどに、ずっとこの病気に心底苦しめられていた、ということだろう。

筋萎縮性軸索硬化症、あるいはALSは、痛みの出ない患者さんもおられるようだが、うちの人は初期の頃から、これから悪くなって徐々に動かなくなっていく箇所から、神経的な、それまで経験の無い激痛にしばしば襲われていた。

発作は夜に多くて、痛みに眠れない夜も過ごした。そのうちに、神経的な肌の異常感も発生し、その気持ち悪さにも参っていた。

耐えても耐えても、その先はもっときついつらさが待ち受けており、さらに治り得ないという絶望とに両脇をガッツリと固められ、命を長らえる勇気がおっとの中から失われていくことを、わたしは全く責める気にはなれなかった。


 もちろん、一緒にいるとあなたの存在に、わたしは強くしてもらってきていたし、少しでも長く一緒に生きたい。
 でも、どんな類のつらさをあなたが耐えているであろうことは、ある程度想像がつく。
 わたしには、あなたに、わたしが、生きて欲しいから生きて、とは、とても言えない


おっとから、命を可能であれば早く終わらせたいと思っていることについてどう思うか訊かれたときに、わたしはそう答えた。1度だけでなく、複数回、同じ質問を、念のためだろう、尋ねられた。その度に、わたしは、同じ回答をした。聴いていたおっとの表情は、落ち着くように見えた。



おっとは、大晦日のブログに、文末が乱れに乱れて意味が読めないほどの文章を書いた日に、ほんとうは逝こうとしていたんだ、と、亡くなる数日前に、わたしに明かした。

 でも、のきこさんと、いつものようにスタバに行って、お茶をして、帰ったときに、こんな風にのきこさんと、もう1日ぐらい一緒に過ごしてもいいのかな、って、でまた1日過ぎたらあともう1日ぐらい、って思って、ここまで来たんだよ、

と、秘密だったことを教えてくれた。

わたしは急に牙を向けてきたように感じていた介護の重さに、半ば心がそこに無くて、どう対処できるのかと前ばかり見て考えていて、その時のおっとの示してくれたそのサヨナラの意味が、分かっていなかった。

だけど、最後の数日間、わたしともう少しだけでも一緒に過ごしたいと思ってくれたおっとと、育んでこられたふたりの関係性は、今、わたしを救ってくれている。

でも、やっぱり、おっとのことを、助け切れてなかったな、と、そこに尽きる。
おっとは「これ以上できないほど、のきこさんはオレに良くしてくれたよ。感謝しかないよ」と、本心で言ってくれていたようだが、わたしは、自分の弱さが歯がゆい。

(つづく)