さる令和6年01月19日未明に、我がおっとなおきさんは他界しました。享年62歳でした。

最期の1〜2カ月は、戦場でした。


病気の進みがものすごく急になり、それまでは時間潰しを自力でやってきてくれていた日々から、全介助に近いサポートを必要とするように、突如なった。

わたしの仕事は100%在宅に切り替えてもらっていたが、身体的な苦痛にのたうち回り、また、極度の頻尿に悩まされるようになっていたなおきさんは、わたしのことを10分おきに呼ぶようになっていた。

とても、仕事どころでは無くなっていた。


上司に相談し、無給の介護休業を取得する方向に舵をを切ることにした。

重度訪問介護の支給が開始されるまでの間、長くても3カ月と考えていた。

(重度訪問介護の話はたくさん語るべきことがあるので、また改めて記したいと思う。)

なおきさんは、躁うつ病という持病を持つわたしが、毎日一日中、夜もまとまった睡眠も取れずに仕事に介護に、擦り減るところを、見つめていたのだろう。改めて、

「弱さのあるのきこさんには、介護は無理なんだよ。これまで、のきこさんは本当に良くやってくれたよ。感謝しかないよ」

と、和やかに、晴れ晴れと、おっと。なんだか、最期の言葉みたいだな、と、その時わたしは少し思った。

しかし、その晩の未明、強い鎮痛剤の影響で15時間ほど眠り続けて起きた直後に、なおきさんは、息を引き取ることになった。

直接には、長時間の口呼吸での睡眠で溜まっていた痰を詰まらせてしまってであったが、その顔はほんとうに穏やかで、治癒の望みの無い絶望と身体的苦しみから解放されたことを、わたしに教えてくれた。


なおきさんは、完璧に、終活もしてくれていたようで、わたしが手続きに迷うことは何も無かった。なおきさんの完璧な準備を思うと、ただただ、わたしの力不足が申し訳ない。

元気な間もずっとそうだったが、わたし達夫婦は、相手を想い過ぎるきらいがあったが、最後はなおきさんの圧勝だ。別に、勝負じゃないけれども。


今日は、なおきさんに、恋焦がれるほど大好きになっていたイタリア菓子店まで赴き、ケーキを買ってきた。家で、いっしょに食べた。


バレンタインスペシャル


パンナコッタ


また買ってくるね。
その前に、バレンタインだね。

(つづく)