9回は直秀らが殺害された、との話で持ちきりだったが

なんやかんやで10回目

メロドラマは賛否両論だろうな

さて、花山天皇退位事件(寛和の変)

なかなか難しい話

「栄華物語」では溺愛していた藤原忯子を失い、世の中が嫌になって

いたところを蔵人の藤原道兼に誘い出されて花山寺で出家したという事件

その時に道兼も共に出家するはずが逃げられ

藤原道綱により、三種の神器も皇太子(懐仁親王)に渡され、それにより一条天皇になったわけである。

そして花山の腹心である藤原義懐、藤原惟成も同じく出家

よく知られた話ではあるが、その通りなのだろうかと思ったりする。

 

「大鏡」では花山が剃髪した後

道兼の版になると、道兼が

今の姿を父兼家に見せてきます、として退出して

それを見て花山が欺されたと嘆くとしているが

大河のように、道兼がそのまま逃げるというのが

まだ正しいように思える

 

まず、藤原忯子が亡くなった事で現世に望みを失い、というのが出家の理由

これは実は「栄華物語」での話

「大鏡」では出家しようとした時に忯子からの手紙を忘れたと

確かに藤原忯子への執着した思いが描かれているのだが

忯子の死が原因とはされていない

「日本紀略」「百練抄」などでは出家の原因そのものは書かれていない

(「百練抄」では道兼の策謀とは書かれているが)

忯子への寵愛の様子はおけらの師匠だった山中裕先生が言われているのだが

これはどうも「源氏物語」のを与えてそのように書かれているのでは?との事(まあその元ネタは「長恨歌」だが)

 

そして気になるのは、花山天皇はそれほど女御の死に出家するほどのダメージを受けていたのだろうか?

「日本紀略」を見てみると忯子の死後も

寛和元年10月には、天皇自らの言葉(宣旨)で大和と近江の不善の輩を追い出すようにとの指令を出しているし

寛和2年3月には(おそらくこれも天皇の指示で)「沽買法」すなわち物の売り買いの金額を定める物価統制法を出している

現在でもそうだが物価統制法はその実行にはかなりのエネルギーが必要で、とても愛妃の死で世を儚んでいる者にできるような施策ではないだろう

(もっともこの統制法、おそらくはそのすぐ直後の花山の退位で実際は何もできなかっただろうが)

源氏物語でも愛妃桐壺更衣を失ってこの世の終わりと思えるほど

絶望していた桐壺帝なのに

桐壷更衣と似た若い嫁さん藤壷を手に入れると

るんるん気分になっているし(^^)

 

おけらはそういう事から、花山退位事件は天皇の厭世観からきたのではなく

花山天皇の政策に賛同できない

当時の公家層から退位を迫られた、全くのクーデターではなかったかと思う

その参考になるのが丁度この事件から100年前にあった

陽成天皇の退位事件

この天皇も奇矯な振る舞いが多く(もっともこの振る舞いについては近年の倉本一宏氏の説に寄れば、実際は嫡流でありながら皇統から外れたため、皇統を継いだ勢力から天皇失格の烙印を押すためのでっち上げの可能性が言われているが)

結果的には藤原基経ら貴族層からの突き上げで退位している。

花山も同じ道をたどったのではないだろうか

 

花山天皇は荘園整理令や先ほどの物価統制令など政治にはむしろ意欲的だったようだ

ただ、それが源雅信、藤原兼家をトップとする貴族層にはむしろ迷惑だったと思われ、それを排除したかったのではないだろうか(実際これらの花山天皇の施策が退位後になっても効力をもって実現したという証拠がない)

 

また、気になるのは

道兼

「大鏡」で書かれているような天皇に対する卑劣な欺しをしたのであれば

別の記録で描かれ、また当時の貴族社会から

煙たがれ排除されそうなものだが

実際は順当に出世し

兄道隆の死後、短い期間であったが関白にまで上り詰める

彼の行為は決して貴族社会で認められなかったわけではないだろう

 

となると

大河で「日記にこだわるロバート」の藤原実資の「小右記」に

どう書かれているか、が気になる所なのだが

「小右記」の寛和2年の記事は

断片的にしか残っていなく

この事件についての記録がない

これが、記事は書かれたが今は伝わっていないのか

書かれなかったのか、は不明としか言い様がない

ただ、当時蔵人頭といういわば天皇秘書官の仕事をしていた実資なので

この事件について書かれないというより

秘書官という地位の責任上、名誉的な話ではなく

意図的に書かれなかった可能性もあるかも

 

おけらの想像であるが

・花山天皇は藤原忯子の供養という事で道兼に花山寺に導かれ

 (天皇が出かけると行幸となって大げさになるので、夜のお忍びという事にして誘

 い込んだのかもしれない)

 そこで退位と出家を強制される、それは道兼の意思ではなく

 貴族層の総意として宣言される。 

 

・そこには藤原義懐、藤原惟成も同道しており

 詰め腹を切らされる形で同時に出家

 (「大鏡」では出家した花山をこの2人が探して、探し上げて後追い出家となってい 

  るが、「大鏡」は物語としてアレンジされているのが見え見えなので

  (たとえばこの話で道兼が逃げたとき、花山は「欺された」と語ったとされてい

   るが、物語作者風情が元天皇という普通の人には近づけない花山法皇にインタ   

   ビューできたのだろうか?という疑問がでてくる、これはフィクションと考え

   るべきだろう))

 また「日本紀略」や「百練抄」はこの2人は花山に従って出家したと書かれており

 タイムラグなしに同時に出家したと考えられると思う

 

また「大鏡」では源満仲(頼朝の先祖)が道兼に付き添って

道兼が出家を強いられないように警護したとされているが

これが事実であればそうではなく

かれらはむしろ、花山天皇達を武器を持って遠巻きに囲んでいて

もはや逃げられないというプレッシャーをかけていたのだと思う

 

 なお、藤原義懐、藤原惟成は本人はもちろん、その子孫も貴族社会に

 役職を得て復帰する事はできなかったので、この事件で完全に排除された可能性が

 高いと思う

 

花山天皇退位事件は花山天皇とその腹心達を

政治の世界から追放する

クーデターではなかったかと思う