今年の大河ドラマが始まってから
この時代の説明、解説の記事、本が
増えてきた
その中にはちらほらと間違いもあるのだが
まあ、この時代については近年一般向けの概説書みたいなものが
出ていないので
あまり知られていないこの平安中期の説明が難しい
というのは良くわかる
しかし、あまりにもひどいのも出てきている
花山天皇が自らの側近、関白職の「藤原伊周」の愛人「藤原為光の娘」とその妹まで寝取った事件だ。母娘の次は姉妹とコトに及ぶ天皇に、愛人を寝取られた伊周は怒りを爆発させ、花山天皇に矢を放って失脚した。
まず最初、「関白職の「藤原伊周」」で知っている人はずっこける
藤原伊周は極官が内大臣、関白になった事はない
(というかなれなかった)
そして藤原為光の娘だが
三女の相手が伊周
四女(妹)の相手が花山法皇
で、この2人が同じ屋敷に住んでいたため
伊周が自分の相手に花山が来ていたと誤解した所から始まったのであり
花山が伊周の相手とは実は無関係、という話であり
両方と関係があったわけではない
さらに伊周が矢で花山を射たのではなく、実行犯は弟の藤原隆家である。
この事件を「長徳の変」(長徳元年、西暦995年)というのだが
この政変に端を発し、花山天皇は藤原一族の陰謀にハメられ、即位からわずか2年で出家、退位させられる。
この花山天皇のいざこざは「寛和の変」(寛和二年、西暦986年)といわれる事件、父兼家の命を受けた藤原道兼の謀によって退位した事
要はこの長徳の変と寛和の変が混乱している説明になっている。
だから長徳の変の時は花山は天皇では無く法皇だし
最初の「伊周は花山天皇の側近」というのも不自然
花山天皇の時代、伊周は元服したての13歳
とても側近といえるような存在ではなかったはず。
ここまでいくともう歴史を捏造しているようなもの
ここまでひどいのは稀だと思うが
変な説明には注意が必要だと思う