さて、昼食後の神保町古本屋街

ぶらぶらと探しているとこの本があった

筆者は山中裕氏、元東大史料編纂所教授

平安中期の文学と歴史を絡めた研究を極めた歴史学者

特に「源氏物語」と「栄華物語」についての研究で有名

という事でその研究成果は今回の大河の歴史的解釈について

かなり影響を与えている

ちなみに今回の大河で時代考証を行っている

倉本一宏氏はその弟子の一人

 

とまあこういう人なのだが

正直言えば山中裕氏はおけらの恩師でもある

(修士論文の副査を勤めていただいた)

もっともまさに絵に描いたような「不肖の弟子」

この本も当然存在を知りながら読んでいなかった

(先生、申し訳ない・・・)

 

発売は1974年という古い本であるが

道長の時代は史料が限られており、それより古い奈良時代の木簡のように

発掘による新成果で新しい見解が発表されるという事は少ないので

その内容は今でも十分通用している

今回の大河関係の項目は「藤原兼家」「藤原道長」「敦康親王」「敦明親王」

兼家は老練でずる賢く、道長は基本的におおらか

そういった性格を踏まえて

年を追いながらその業績を紹介していく

そして対照的に、一条天皇の長子で父天皇にも愛されたが

最高権力者の道長の血筋でないという事で即位できなかった敦康

東宮になりながら、やはり道長系ではないという事で

その「圧力」に耐えられず、東宮を辞退した敦明

この2親王の悲劇も描かれている

 

山中先生の人間評は今でもそのまま引き継がれているように思える

ただ、一条天皇と道長の叔父甥の関係は

君臣相和すという感じで麗しい姿で書かれているが

実際はどうだろうか

愛妻定子とその子、敦康に対する道長の扱い

母藤原詮子を動かして無理強いさせ、伊周を差し置いて内覧に就任した事

それを考えると単純に仲が良かったとはいえないように思える

後世、「愚管抄」には一条天皇崩御後、道長天皇の遺品の整理中に一通の手紙を発見し、その中に「自分は公明正大な政をしたいのに、それを邪魔するひどいやつがいてそれができない」と書かれていて、このひどいやつを道長は自分と思い、その文を焼き捨てたという話がある、山中先生は仲の良かった2人がこんなはずはないので、この話自体がデマだろうみたいに話をされているが、さてどうだっただろうか

(大河ではおそらく、微妙な関係に描かれると思うのだが)

 

さて、この本、ちょっとした専門書なのでだれにも取っ付き安いとはいえないが

それでも原文(もちろん白文)を引用した後、その文でどのようなことが書かれて

いるかをちゃんと説明しているので、決して読みにくい事はないと思う

むしろ有名な話で大河でもクライマックスシーンになるはずの

道長が「この世をば・・・」の歌を詠む場面は

原文ではどのように書かれているか、などが簡単に読める

(もっとも有名な話だが、この歌は道長の日記「御堂関白記」にはなく

 大河でも重要人物として描かれる藤原実資の日記「小右記」の記事)

また当時の摂関政治や女流日記の意味や「御堂関白記」は年を追ってどういう道長の姿が描かれているか、などが説明されており、大河鑑賞の参考になるだろう

 

古本で安く売っているし(おけらは220円で入手(^^))

図書館にもある時があるので機会あればお薦めしたい

 

なお、同じ書名で角田文衞氏のものもある

この人は山中先生の盟友で

紫式部の生家は現在京都の廬山寺や梨本神社のあたりであるとか

紫式部の本名は「香子」であるとかの説の提唱者で

その説は賛否両論あるが、話としてはこちらを読むのも面白いと思う

 

なお山中先生の本としては

下記の「藤原道長」がある

この本も元は教育社新書で出ていた物で

新しい物ではないが

入手しやすいと思う