前記事のとおり、GWの間にかけて、日本横断「川の道」フットレース520kmの予行練習を実施してきました。
レースの本番は4/30スタートでしたが、一日早い4/29にスタートしました。
本レースは520キロの部は優先枠だけで一杯になり、私は後半255キロの部にエントリー。
しかし、生憎抽選に外れてしまいました。
でも、おかげで、GWがまるまる空いてしまい、520kmフルの予行練習を企てました。
コースはスタート地点が東京の葛西臨海公園で熊谷・秩父を経由し群馬県と長野県の間にある十石峠を超え、小諸・長野・小千谷を通り、新潟港に到達するという、日本を横断するものです。
出発時刻を1時間早く勘違いして、25時間のフライングのスタートとなりました。
スタート時は完走することをあまり期待しておらず、今年の目標の300キロ越えである長野市辺りまで行ければいいと思っていました。

■スタート~熊谷(約85キロ地点)
始めは、ホームコースの荒川沿いを意気揚々と走り続けました。

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しかし早速、30キロも過ぎないうちに事態は悪化することに。。
強風です。しかも、真正面から。
笹目橋(約30キロ地点)に到達すると、コースを離脱しました。
自宅へ向かったのです。
強風にめげ、早速リタイアか?
いえいえ。もしも日本海まで到達した時の事を考え、太平洋からだけでなく、自宅から自分の足で到達したという実績を作りたかったからです。
そのため、自宅の中には入らず、そそくさと笹目橋に戻りコース復帰しました。

強風は治まるどころかますます酷くなり、彩湖(約35キロ地点)を過ぎるといよいよ足が前に進まなくなりました。
この強風、日が暮れるまで続き、荒川から離れる鴻巣(約75キロ地点)に着いたのは22:00頃でした。
ちょうど鴻巣市内のファミレスで食事後1時間程仮眠をとったところで日付は変わり2日目4/30になり、熊谷は深夜となりました。

■熊谷(約85キロ地点)~こまどり荘(約170キロ地点)

深谷の国道140号のバイパスで夜が明け、寄居(約110キロ地点)で再び、荒川沿いになりました。

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丁度、レース本番のスタート時刻である9:00から1時間程たったところです。
これから東京から選手が私を追って来ると考えると、少し優越感を得られました。

アップダウンの続く県道82号を進み、長瀞(約115キロ地点)に到着。
ここで、昼下がりの中、道端でごろ寝を2時間程しました。
レースでは、コース上の3箇所の宿泊所で最低2時間滞在し、休息をとるルールとなっています。
選手じゃない私はこれらの宿泊所が使えないので、代わりのルールとして、これらのポイントの間で最低2時間の休息(休暇)を取ることにしました。

ひと眠りした後、間もなく秩父入り(約120キロ地点)し、夕方頃市街地を抜け、道の駅大滝温泉(約150キロ地点)に着いた辺りで3日目5/1に突入。
街灯が無いところも増え、ヘッドランプの明かりだけが頼りになりました。
ループ橋を登り、国道140号から外れ、こまどり荘へむかう県道に入ると、さらに闇の恐怖が強まりました。

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車も通り過ぎることもなく、闇の中に1人いるだけで、どこかに吸い込まれそうな感じでした。
壮大な一人肝試しを経、なんとかエイドのこまどり荘(170キロ地点)にたどり着きました。早朝4時前で、まだ夜明け前でした。

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受付には誰もいません。
少し離れたところにスタッフがおられました。
話によるともうじきトップの選手が来るとのことで、準備に追われていました。
せっかくなので、私は体育座りで選手が来るのを待つことにしました。
いつの間にか意識を失っていましたが、スタッフの歓声で目を覚ましました。
トップ選手の到着です!私も立ち上がり応援させていただきました。

■こまどり荘(約170キロ地点)~小諸グランドキャッスルホテル(約260キロ地点)

選手が最低2時間滞在している間に私は一足先に峠越えに取りかかりました。
ちょうど夜も明けてきた頃でした。
従来の峠越えは、三国峠を経由するものでしたが、落石の危険が高いため、今年は(今後も?)両神山の裏手を回って神流町に入り、十石峠を超えるコースとなりました。
川の道のコースは三国峠を超える従来のコースは全て試走済みでしたが、この区間は試走したことがなく全く未知でした。
また、この区間は冬季の通行制限があり、今回選手よりも早い日にちで通過する可能性があったため、GWの前のうちに林道の管理者に通行制限について確認しておきました。
結果、冬季の通行制限は車両のみで歩行者については制限を行っていないとのことでした。

しばらく林道を進むと、明かりの全くないこんなトンネルも。。

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通り抜けると、こんなレトロな世界が繰り広げられていました。

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八丁トンネルの手前で、ついにトップ選手に追いつかれました。
一瞬並走させていただきましたが、あっという間についていけなくなりました。
この後、なんと私と同じように練習で(?)、川の道と同じコースを走られている選手でないランナーさん2人組にお会いしました。
しかも、私と同じ1日前スタートされたそうで、並走させていただきました。
写真は八丁トンネルを抜けた辺りのところのものです。

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神流町(約190キロ地点)の辺りからお二方についていけなくなり、再び一人旅が始まりました。
さらに、次から次へ選手に抜かされることになりました。その度にエールを交換し合いました。

上野村に入り、試練の時が来ました。
十石峠越えです。
曲がっても曲がっても待っているのは登り坂。
(写真は下りのときに撮ったものです。)

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十石峠(220キロ地点)に着いたのは21:00頃でした。
今まで登った三国峠や、碓氷峠、雁坂峠、いろは坂等のどの峠よりもきつく感じました。
峠のエイドでは、選手でもない私を快く迎えていただきました。

ついに長野県入りし、ひたすら佐久穂の街をめざして、下りました。
途中、地元の方々による私設エイドもあり、ここでもちゃっかりご馳走になりました。
日付も4日目の5/2に突入していました。

無事、佐久穂の街までおり、従来のルートに合流しました。
しかし、このころから足のマメが気になりだし、真っ直ぐな幹線道路(国道141号)でもひたすら歩く羽目に。。
そのため、時間ばかり過ぎ、夜がいつの間にか明け、佐久市に着いた時は、先へ進むことが困難な状態になっていました。

ここで、お目当てのファミレスで朝食後、再び長めの仮眠を2時間程しました。
なんと、仮眠後は足のマメも気にならなくなり、再び走ることができ、程なく全コースの中間点である、小諸グランドキャッスルホテルに辿りつくことができました。

■小諸グランドキャッスルホテル(約260キロ地点)~鹿渡館(約400キロ地点)

この頃から走れなくなっても仮眠さえすれば、走れるようになることが実感できました。
昼間のうちにできるだけ道端で積極的にごろ寝をする作戦で行くことにしました。
上田城でも、私のごろ寝姿を何人もの観光客が見物に来ていました。

再び日が沈み、ひたすら国道18号を北上します。
篠ノ井橋に差し掛かりました。長野市入りです!
この時点で今年の目標である300キロ越えを達成していました。
リタイアしても構わないのですが、せっかくだったのでゴールを目指しました。
残り2.5日で220キロ進めばよかったので、決して不可能ではありませんでした。

善光寺(約320キロ地点)を過ぎたあたりで、得意のファミレス休憩をとることに。(なぜかアップデートでは「休暇」となってしまいましたが。。)
2時間以上眠り、新聞まで読んでリラックスしました。
朝の8時から、ひたすら飯山をめざしました。

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昨年秋、この辺り一帯はりんごの匂いがぷんぷん漂っていた場所ですが、今回は打って変わって若葉の香りでいっぱいでした。
飯山(約350キロ地点)を過ぎたあたりから天候が急変しました。
嵐です。雨に濡れないようスマフォの防水対策に迫られました。
しかし、嵐は幸い長時間続かず、数時間で治まりました。

しばらく、新潟県に入るまで店がほとんどない区間を通過しました。
下見のときは、灼熱地獄だった区間ですが深夜だったためか水分の補給に苦労しませんでした。
また、幸い選手としばらく並走させていただいたおかげか、会話しているうちにマメの痛みも忘れてしまいした。
おかげで、予定よりも早く新潟県入りすることができました。
さらに、深夜の中、私設エイドで飯山の旬のタケノコ汁をご馳走になりました。
(そう言えば茨城の某タケノコ林、どうなっているのだろう。。)
6日目の5/4早朝3時頃、選手の宿泊施設である津南の鹿渡館(約400キロ地点)に到着しました。

■鹿渡館(約400キロ地点)~ゴール(約520キロ地点)

鹿渡館では滞在せずそのまま折り返し、ひたすら十日町へ目指しました。
このころ、本格的に雨が振り出しました。
まだ、未明でタイミング悪く睡眠をそろそろとりたい頃でした。
しかたなく、許可を取ってコンビニの前でごろ寝させてぶるぶる震えながら仮眠しました。
さらに十日町(410キロ地点)での道の駅でも仮眠をし、再びフレッシュな状態に!
9時頃になってようやく雨もあがってきました。

一気に十日町を抜け、小千谷(430キロ地点)を目指します。
なんと、神流町までご一緒した、練習(?)のお二方と合流できました。
コンビニで朝食をご一緒し、しばらく並走させていただきました。

ついに、小千谷のエイド(約450キロ地点)に到着。
設営されている方の名前がエイド名となっており、なんとご主人や関係者め、半分宴会モードになっていました(笑)。
楽しんでいきたい気持ちをぐっと堪え、一人先を急ぐことにしました。

走れるうちに長岡(460キロ地点)までの一直線の道を突き進みました。
案の定、足のマメで走れなくなりましたが、三条(約480キロ地点)に入ったところにお目当てのファミレスがあり、そこまで踏ん張りました。
最終日の5/5に入ったころ、ファミレスに到着し、後半255キロの部の選手の方々と夜食&仮眠をすることに(笑)。
選手達は1時間程で出発されましたが、私は3時間以上長居してしまいました。

ついに新潟市入りしました。

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しかし、ここからが大変でした。
地平線の彼方まで続く国道8号線は一向に終わりを告げることがありませんでした。
下見のとき経験済みでしたが、やはり2度目も変わらず地獄でした。
足のマメもきになりましたが、最終日だったため先を急ぎました。

ついに信濃川の河川敷に!
そして、数キロ程でついに日本海が!

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しかし、ここがゴールではありません。
信濃川の反対岸に渡り、数キロ遡上する必要がありました。
急にマメの痛みがひき、走ることができ、あっという間にゴール地点のホンマ健康ランドにたどり着きました。

選手でない私は、スタッフに「偽物」であることを伝え、ゴールテープを避けるため、わざと側道を通りました。
しかし、スタッフの方が、せっかくなのでゴールテープを!と言ってくださいました。
テープを切るのは夢にとっておきたかったので、ありがたくテープの数十センチ手前での記念写真を撮っていただきました。

今度こそ、ゴールです!
ホンマにゴールです。(TOMOZOさん、使わせていただきました。)

ゴール地点は入浴施設になっていて、7日分の垢を落としました。
ちなみに7日間、湯船に一度もつかっておらず、体は公衆トイレ等で石鹸水を浸したタオル等で拭いてしのいでいました。
新潟駅まで5キロ強裏ステージを実施し、ランは終了。
15:30頃で、帰りの新幹線が私を待っていました。

■終わりに
ついに東京湾から、日本海までそして新潟駅まで自分の足で到達できました。
そして、最初の目論見どおり、自宅からも到達したことになりました。

後でガーミンの集計を見たところびっくり!
走行距離:約552.1キロ
走行時間:約151時間43分 6日間+7時間43分

コースから外れて自宅へ往復したり、一部コースを間違って覚えていた箇所を通り直したり、新潟駅までの距離の分で520キロから大幅に増えてしまったようです。
もちろん誤差も一因かもしれません。

こうして、2016年のGWは全てランに捧げたことにより、520キロ(550キロ?)越えが見事、達成できました。
とりあえず、今回はニセモノ選手として完走しましたが、いつかは本当の選手として完走しゴールテープを切りたいと思います。
そのためには、まず後半ハーフの抽選に当たらないと。。

さて、今回のランで得られたものも大きいものでした。
改めて仮眠による回復の仕方を体感できました。
長い520キロの中、やや食欲が落ちるときもありましたが、吐き気は起こることはありませんでした。
体が限界になる前に小まめに仮眠したことが大きいと思います。
終わった状態では、小江戸大江戸のときより楽で、今回この調整でまだまだ進めそうな感じがしました。(休日さえあれば。。)
また、足のマメが大きなネックになりましたが、選手からソックス等、情報をいろいろいただいたので、それも試したいと思います。

今回、520キロという途方もない距離を走ってしまい、達成感と同時に次の目標をどうするかという戸惑いも生じました。
ついに、禁断の地にでも行くとするか。。距離的には余裕なはず。。

最後にスタッフの方々選手でもないのに大変お世話になりました。
いつか抽選に当たり本当の選手として完走したいと思います。
また、エイドを設営された方々、選手でない私をもてなしていただきありがとうございました。
そして、並走させていただいた選手や、練習されていたお二方、本当に楽しい一時ありがとうございました。
またどこかでお会いすることを楽しみにしています。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。