ロンドンへの挑戦 | 庭田清美オフィシャルブログ

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きよみんのトライアスロンライフ

もうすでに皆さま御承知の通り、ロンドンへの挑戦は終わってしまいました。
長い間にかけて、オリンピックという目標に向かって生きてきた長い道のりを応援していただき、本当にありがとうございました。

2年前に左の臀部と腿裏の故障をし、昨年の後半から調子が上がってきていました。
今年に入ってからも10kmランのレースで自己ベストを大幅に更新するなどして、好調を維持してきていましたが、2月の上旬に急に右の踵が痛み出し、一時は歩けないほどになりました。
すぐに治るだろうと思ったのですが、2週間たっても普通に走ることができないので、無理に走っていたら今度は右足首の痛み。
走ることが出来ないまま、シーズンが始まってしまいました。

今シーズン初のムールーラバを無理やり走り、2週間後の日本の館山で行われたアジア選手権に出場を決め、なんとか4位で完走。
翌週にはシドニー、その翌週には石垣島とレースが続きましたが、レースをハードトレーニングと受け止めて、徐々に脚の調子も良くなって来ていました。

石垣島の2日前頃から風邪の症状が出て、レースの後には治ったかな?なんて思っていましたが大間違い。
翌日の移動中に悪化してきて、千葉に到着後すぐにドクターに診てもらいました。
なんかのウィルスに感染しているね、とのこと。
とにかく安静。
その夜からは声が出なくなり、熱も出て、久々にぶるぶる震えていました。

この週の金曜日から上田藍選手や細田雄一選手の所属する稲毛ITCの選手たちと館山で合宿をし、5月のロンドン選考レースのサンディエゴ、マドリードに賭ける、という予定でした。

しかし練習2日目のバイク練習中に落車をし、肋骨を骨折。
当初は2本という診察でしたが、先日の国立スポーツ科学センターでのメディカルチェックで、実は4本骨折ということでした。
安静にしていなくてはいけない時期に、痛みを堪えながら練習していたので、あまり治っていないからマドリード終わってもまだ痛いのかなと思っていましたが、あれだけ痛かったのも納得でした。。
先生がよく我慢できたね、という言葉にロンドンは逃しましたが、あの壮絶な痛みを理解してもらえて救われた気がしました。
館山では、翌日にはホテルの部屋で直立不動スタイルでローラー30分行いましたから。
もちろん自分では乗れませんから手伝ってもらってね。
2日後には自分で運転して、3針縫った肘の治療にも病院まで行っていました。
トロトロゆっくり運転でもOKの館山で良かったですわ。

もちろんこの怪我でサンディエゴはキャンセルしなくていけなくなり、マドリードに向かって頑張り、一所懸命に取り組みました。
スイムはターンが出来ず、痛みをこらえながらの方向転換。
泳ぎ終わった後は、泣くほど痛かった。
マドリードに行くまで飛び込みも、バイクのダンシング(立ち漕ぎ)も出来ず、不安な気持ちじゃないと言ったら大嘘。
マドリードは散々な順位で走り終え、悔しいとか思うよりも放心状態でした。

こういうときは何故だか、後になってからやる気がなくなって来るものなのですね。
今はゴールドコーストに戻ってきていますが、あまり自分を奮い立たせることができません。
未だに痛む肋骨のこともありますけどね。

プロとして今年はまだあります。
レースの予定はまだありませんが、まずは自分を追い込むまえに肋骨を完治させたいと思います。

思ってもいなかったこの現実。
現実と捉えられるようになるまで時間がかかりました。
痛みを堪えてベッドに横になり、痛てぇ~と歯を食いしばりながら眠りに就くとき、もしかして目が覚めたら夢だったと思うのかも。
なぁ~んて思ったりしたけど、目が覚めると現実なんだと数分ぼーっとしてしまう日々だったな。

この数カ月にあった出来事をブログでお知らせしていなくて申し訳ありませんでした。
こういう時期にあまり怪我のことなどは書きたくないものです。
先に言いわけしているみたいなのも嫌ですし。
かといって、2月からこの状況で他の記事をかける心境でもなかったのでね。
今頃になって、やと皆さんに言える心境になってきました。

今は元気ですが、まだ肋骨はたまに痛みます。
全開でなんでも出来る状況ではありません。
今までずっと頑張って食いしばって来ましたが、今回は自分でもよくあの状況で諦めずに痛みに堪えて挑戦したなと思います。
まずは完治を目指しながら、出来る練習から始めていきたいと思います。

4回目の五輪に向けて応援してくださった皆様の期待を裏切る結果となり、申し訳ありませんでした。
しかし、マドリードでのレースの最後のフィニッシュラインまで諦めることなく、全力で駆け抜けたことを皆さまにご報告いたします。

ありがとうございました。