大阪中国人強制連行受難者
第25回追悼会が開催された
10/15、大阪港天保山公園にある追悼記念碑“日中友好の碑 彰往察来”前で、大阪中国人強制連行受難者 第25回追悼会が開催された。追悼会は大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会の主催で毎年開催されている。特に、今年は日中国交正常50周年の節目の年に当たり、第25回追悼会開催の意義は大きい。追悼記念碑“日中友好の碑 彰往察来”は、日中友好や日朝国交正常化早期実現を求める運動、朝鮮学校の民族教育を支える活動で、指導的活躍をされた有元幹明氏の直筆。有元氏は、同会事務局長として、昨年の第24回追悼会の司会を務められた2週間後に他界された。“日中友好の碑 彰往察来”の碑文は有元幹明氏の遺筆となった。
追悼会は、同会事務局次長の桜井氏の司会で進められ、冒頭、同会代表の冠木克彦弁護士が挨拶された。
冠木氏はまずこの間、有元幹明、浅田義信、清水良平、猪八戒の各氏を亡くしたことを報告された。
冠木氏は、中でも猪八戒氏(林伯耀氏の弟)の50年前の演説で「『被抑圧民族の諸君』と呼びかけ、諸君らは『日本帝国主義の権力に屈服した後、中国・朝鮮の民衆に対してひどい抑圧を続けてきた』と述べ、『抑圧者の立場に立ちつづけるか、それとも被抑圧者の立場に立つのか』と二者択一を迫りました。」を紹介された。
そして、「帝国主義を引き継ぐ政治を終わらせ、一刻も早く新しい政治を生み出さなければならない」と訴え、「中国人強制連行受難者追悼会を日本政府が行うことを目指して、活動を続けたい。」
「御支援のほどお願い申し上げます。」と呼びかけられた。
続いて、中国駐大阪総領事館と朝鮮総連大阪府本部から来賓挨拶があった。
そして、各団体代表の挨拶に続き、参加者全員が追悼記念碑“日中友好の碑 彰往察来”に献花を行った。
最後に <追悼記念碑“彰往察来”の趣旨>を同会ホームページより転載し、報告の結びとしたい。 (伊関)
歴史を鑑とし、未来に向かおう
朝鮮半島や台湾を植民地にした日本は、中国大陸へ侵略、さらには東南アジアへと武力侵攻していきました。その歴史の中で大阪はアジア最大の武器製造工場「陸軍造兵工廠」や軍事物資輸送拠点としての大阪港を有し一大軍事都市として役割を担っていました。
侵略戦争が泥沼化していく中、国内労働力が不足し、これを補うため朝鮮半島や中国大陸から多くの人々を強制的に連行しました。ここ大阪港にも一千人を越える中国人が強制連行されました。
ある者は日本軍に突然村を囲まれ拉致され、また、ある者は戦闘での捕虜でした。監禁されたまま日本へ連行され、過酷な労働を強いられました。大阪ではいずれも湾岸に投入され、造船所での雑役と安治川沿いで船の荷物を運ぶ荷役の仕事をさせられました。、不十分な食糧、劣悪な生活環境、監督による虐待、あるいは空襲に身を守る術もないまま、一年足らずのうちに八六人もの尊い命が失われました。
この歴史を忘却せず、平和への礎としなければなりません。
異境の地で無念の死を遂げた中国人犠牲者を追悼すると共に、日中両国民衆の未来に向けた真の友好と平和を願い、二度と侵略戦争に荷担することなく、平和港大阪、平和都市大阪を築く決意を込めて、ここに追悼碑を建立する。
大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会
第25回追悼会が開催された
10/15、大阪港天保山公園にある追悼記念碑“日中友好の碑 彰往察来”前で、大阪中国人強制連行受難者 第25回追悼会が開催された。追悼会は大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会の主催で毎年開催されている。特に、今年は日中国交正常50周年の節目の年に当たり、第25回追悼会開催の意義は大きい。追悼記念碑“日中友好の碑 彰往察来”は、日中友好や日朝国交正常化早期実現を求める運動、朝鮮学校の民族教育を支える活動で、指導的活躍をされた有元幹明氏の直筆。有元氏は、同会事務局長として、昨年の第24回追悼会の司会を務められた2週間後に他界された。“日中友好の碑 彰往察来”の碑文は有元幹明氏の遺筆となった。
追悼碑と追悼実行委員会事務局次長の桜井秀一氏
追悼会は、同会事務局次長の桜井氏の司会で進められ、冒頭、同会代表の冠木克彦弁護士が挨拶された。
冠木氏はまずこの間、有元幹明、浅田義信、清水良平、猪八戒の各氏を亡くしたことを報告された。
冠木氏は、中でも猪八戒氏(林伯耀氏の弟)の50年前の演説で「『被抑圧民族の諸君』と呼びかけ、諸君らは『日本帝国主義の権力に屈服した後、中国・朝鮮の民衆に対してひどい抑圧を続けてきた』と述べ、『抑圧者の立場に立ちつづけるか、それとも被抑圧者の立場に立つのか』と二者択一を迫りました。」を紹介された。
そして、「帝国主義を引き継ぐ政治を終わらせ、一刻も早く新しい政治を生み出さなければならない」と訴え、「中国人強制連行受難者追悼会を日本政府が行うことを目指して、活動を続けたい。」
「御支援のほどお願い申し上げます。」と呼びかけられた。
挨拶に立つ冠木弁護士
続いて、中国駐大阪総領事館と朝鮮総連大阪府本部から来賓挨拶があった。
中国領事館 薛剣総領事の挨拶を代読する 趙 婷婷 領事
そして、各団体代表の挨拶に続き、参加者全員が追悼記念碑“日中友好の碑 彰往察来”に献花を行った。
次々に献花する参加者
最後に <追悼記念碑“彰往察来”の趣旨>を同会ホームページより転載し、報告の結びとしたい。 (伊関)
歴史を鑑とし、未来に向かおう
朝鮮半島や台湾を植民地にした日本は、中国大陸へ侵略、さらには東南アジアへと武力侵攻していきました。その歴史の中で大阪はアジア最大の武器製造工場「陸軍造兵工廠」や軍事物資輸送拠点としての大阪港を有し一大軍事都市として役割を担っていました。
侵略戦争が泥沼化していく中、国内労働力が不足し、これを補うため朝鮮半島や中国大陸から多くの人々を強制的に連行しました。ここ大阪港にも一千人を越える中国人が強制連行されました。
ある者は日本軍に突然村を囲まれ拉致され、また、ある者は戦闘での捕虜でした。監禁されたまま日本へ連行され、過酷な労働を強いられました。大阪ではいずれも湾岸に投入され、造船所での雑役と安治川沿いで船の荷物を運ぶ荷役の仕事をさせられました。、不十分な食糧、劣悪な生活環境、監督による虐待、あるいは空襲に身を守る術もないまま、一年足らずのうちに八六人もの尊い命が失われました。
この歴史を忘却せず、平和への礎としなければなりません。
異境の地で無念の死を遂げた中国人犠牲者を追悼すると共に、日中両国民衆の未来に向けた真の友好と平和を願い、二度と侵略戦争に荷担することなく、平和港大阪、平和都市大阪を築く決意を込めて、ここに追悼碑を建立する。
大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会