IT機器累々 その4 | ケンさんのブログ

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IT機器累々 その3 からの続き


さて自分のパソコン歴である。

パソコンの黎明期

BasicMasterMZ-80KPC-8001
1978年から1979年に掛けて日立ベーシックマスター(1978/9)、シャープMZ-80K(1978/10)、NEC PC-8001(1981)と初期の個人が使うパソコンとしてほぼ完成したマシンを出してきた。

どれも使い方は簡単である。
ベーシックマスターと8001は、電源を入れるとたちどころに、ROM Basaicが立ち上がり、別売のモニターと本体と一体になったキーボードで対話型でプログラムが作成できる。
モニターは家庭用のテレビでも解像度は悪いが代用できた。
MZ-80はモノクロのモニターが付属していいたがBasicは本体の起動用のIPL(Initial Pprogram loader)から付属のカセットテープによるデータレコーダーから読み込む必要がある。
ベーシックマスターと8001は、カセットレコーダーは別売でこれを買わないとせっかく打ち込んだプログラムもデータも電源を切ると同時に永遠に消えてしまう。

それまでみんなでTK-80などでこつこつと作り上げなければならなかったものが、それらの集大成として半田付けの苦手な人間でも臆する必要なないものがようやく出てきた。

価格もサラリーマンならば、しばらく必死に働けば買える値段である。

しかし、知り合いの塾の講師と家庭教師でふらふらっしていた自分には、手が出せなかった。
数値計算くらいしか利用方法が浮かばないないのに、快適に使うにはプリンタや記憶装置などが必要でかなりの出費になる。

プログラム電卓

指を加えて見ているだけだったが、カシオからプログラム可能な電卓、FX-502P(\24,800)が出ると(1979)思わず買ってしまった。
10進計算の出来る機械語のようなプログラムだが、簡単な時間制御もでき数値計算だけでなく、当時流行っていたインベーダーゲーム(1978~)風の高度を数値で表わして左右に揺れながら数字が落ちるのを撃ち落とすゲームなどを自分で作って遊んでいた。
数値計算の実用性という点では、このポケットに入るプログラム電卓のポイントはかなり高い。
強度計算や座標の計算はよく使うのはそれほど複雑でないのがほとんどで、複雑な計算式はプログラムを作るよりも実際に計算したほうが速い場合が多い。
これで計算できない場合はかなり少ない。プログラムやデータを記録するカセットテープとのインターフェースFA-1や銀紙のようなロール紙に印刷するプリンタFP-10も買って大いに役だった。

まっとうな仕事(メカ設計)についてからも重要なアイテムである。仕事にパソコンを使えるようになってからもプログラム電卓は重宝した。


プログラム電卓はBasicを装備してポケットコンピュータ=ポケコンというジャンルが生まれシャープやカシオなどからたくさん発売された。
FX-502Pの後継として何機種か買ったが、パソコンを使うようになってからは、プログラムを組まなければいけない場合はパソコンの方が良い場合も多く、関数電卓以外の用途で使うことは減ってきた。
何を使っていたのかよく覚えていない程度の印象しかないが、たぶん上の写真のような機種と複数行表示できる機種を具合が悪くなるたびに更新したのだと思う。

パソコンもロータス1-2-3という今や伝説となった表計算ソフトを使うようになると、ポケコンの出番はさらに狭まり、Windows3xのExcelで常時、表計算ソフトが開いておけるようになると、電卓で計算するような機会はますます減っていき、いつの間にかほとんど使わなくなってしまった。

今でも、前の電卓が壊れているのに気が付いて、エンジニアが関数電卓を持っていないのはまずいと関数電卓を買ったがスマホには関数電卓のアプリが入っているし、本当にプログラム組む必要があれば、アンドロイドはアプリを開発する環境が無料で手に入るので、この関数電卓の使い方をマスターすることをないだろう。

今ではパソコンでもAndoridでも計算式を直接解けるソフトMaximaのような高機能なものが使える。
便利な世の中になったものである。

最初のパソコン 日立ベーシックマスターレベル3

定職についても仕事の上で当時の8bitのパソコンでは使う必要はそれほどなくプログラム電卓で十分であった。
仕事が忙しくてふらふらしているころよりも使い道もなくお金がたまるようになると、プログラム電卓で計算するのに少しでも面倒だと感じるたびにパソコンがあればもっと簡単にできるのにという妄想が起きるようになった。

しかもパソコンはモニターで対話型に処理を進めることができるというものすごく進歩した方法が使えるし、画面に結果をわかりやすくグラフで表示することもできるはずである。

冷静に考えれば、シンプルで小型で携帯性の良いプログラム電卓より役立つことなどほとんどないことに気づくはずであるが、金さえ溜まれば後は妄想の赴くままである。

問題はどの機種を買うかである。
日立からは、ベーシックマスターという機種が、レベル2(1979/2)、レベル3(1980/5)と3代目が出ていた。
NECの方がTK-80からの流れで人気はあったが、Bit INNに入り浸っていなかった自分には、まだNEC-8801(1981/12)が出る前でもあり新しいレベル3が最高に思えた。
このレベル3のCPUは、インテル系でなくモトローラのMC6809系である。富士通もモトローラ系なので当時の国策による大型計算機の日立+富士通連合対東芝+NEC連合と関係があるのかもしれない。

その頃は、ソフトや周辺機器の多さなどということが問題になるとは思っていなかったので、人気なんて気にならなかったのである。
定価は\298,000- 昔の秋葉原はラジオ会館周辺以外でも今やメイドさんたちが徘徊する中央通りの向こうのネジの水谷の前あたりの総武線のガード下にもパソコンを売る店がたくさんあり、池袋もサンシャインの方のサンゴーカメラや五差路の方にも安く売る店があったが、レベル3のころはどうだったのか思い出せない。
たぶんアキバで買ったのだとだと思うがどうやって家までもって帰ったのかも思い出せない。
ただし、2階の自分のほとんど家具のない部屋の一角の畳の上に置いて使い始めたのは覚えている。

しかもこのレベル3には大いに満足した。

一度動作しなくなり日立のサービスマンがすぐ家まで来てくれてICがいっぱい刺さった基盤を、自分には全部理解できなかったが、ちゃんと説明して交換してくれて、ついでに家のほとんどの電気製品の具合を見て行ってくれた(おかげでちゃんと電気のことを勉強しなおすきっかけにもなった)。
それ以外は操作上の間違いやプログラムの問題以外での不具合は全く起きない安定性の高いマシンであった。
コンピュータとしての能力も個人で使うレベルとしては、使いこなせないくらい十分であった。
当時は、パソコンは自分でプログラムを作って使うものだという認識だったのである。
市販のソフトの多さを気にするよりも、結構出ていたレベル3の情報を調べて使いこなすことで精いっぱいだった。
最近のパソコンと比べれば、ハードもソフトも中身を何とか理解できる程度のシンプルさである。
プログラムはBasicのほかに速度を要求される場合は機械語を使うのが当たり前であった。
本体以外にカセットテープのデータレコーダー、グリーンの高残像のモニター、プリンター、3インチのフロッピーディスクドライブと購入した。
このFDDはランダムアクセスのできない、シーケンシャルアクセスのみであるが後の3.5インチのようにプラスティックのケースに入った、8インチや5インチのペラペラのものと比べると使い勝手のいいものであった。
この3インチFDDの記事も写真もなかなか見つからなかったが、 http://blog.goo.ne.jp/nhh0/e/abfb14525c27b8046c60d830e28ea348 にあった

機械語を作成するためのアセンブラは購入したが、ディスアセンブラはBasicをメインに使って自分で作成した。
MC6809は、コードが明解でわかりやすい。

数値計算や統計処理、それに家計簿やらデータ処理用のプログラムなどいろいろ作った。数値計算については、アルゴリズムを結構勉強した。計算機は限られた範囲の整数演算は正確にできるが、実数演算は、精度を維持するために数値の範囲だけでなく
ハードウェアの情報も結構出ていて勉強することはたくさんあった。この機種でパソコンの基本的なことをたくさん学ぶことができた。
もちろんゲームも作ったが、自分にはいいゲームを作るセンスはない。
雑誌にレベル3用のセンスのある人が作ったゲームも載っていて、その機械語の16進数をチェックサムと一緒に入力した。
レベル3用のソフトはやはりNECと比べてずっと少なかったようだ。
機械語の入力は、入力用のプログラムを起動させて、16列X16行単位の1バイト=2ケタの16進数をひたすら打ち込む作業で行末と最終行の次のチェックサムで打ち間違いを発見したら修正するという作業の繰り返しである。
レベル3用の16進読み上げソフトが載っていたのでそれ以来入力は楽になった。これは内蔵のBEEP用のスピーカを制御し女の子の数字の読み上げの音声を出すもので、誰が作ったのかは、今や不明だがどこかの高校生が作成したもののように記憶している。
優秀なやつはいるものである。

自分が得意なのはこうやって入力したゲームを逆アセンブラに掛けて、無敵にしたりするリバースエンジニアリングである。
入口から順に追っていくプログラムを作れば、ルーチン部分とデータ部分をまず分けることができ、ルーチンの飛び方で内容を分析できる。
まあ、若いからこんな面倒くさいことでもできて、いくつかやればコツがつかめてくるものである。

しかし、面白そうなゲームは圧倒的にNEC PC8001向けの者が多く、市販のテープも多い。


そうこうするうちにPC8801が高性能な8bit機として発売され(1981/11)、ビジネス用の掛け声とは裏腹に高度なゲームが次々と発売されるのを指を加えて見ることになる。

そして1983/11に最強の8bitホビーパソコンコンとなるべくしてNEC PC-8801mkIIが発売されるとついに買ってしまった。
しかし、PC-8801mkIIはそれほど使わなかった。
これと前後して怒涛のPC-9801シリーズの時代に移っていったからである。
そう、あの一部のゲーム用やワークステーションなどを除いて、日本中を席巻した9801の時代である。

怒涛のPC9800シリーズに続く 



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