随身門よりナナイタガレまで凡そ八丁。山頂一九八二メートルの三角点まで凡そ十五丁。本社を辞して三角点へ向う。

随身門より左手の山道へかかった所に白亜の宝塔がある。昭和二十年八月十五日の終戦の日、東京の岩見妙安法尼が発願し、法華経の一字一石を納めて昭和二十四年に完成した世界平和万霊供養塔である。

これより先は、一帯に平らかな台地となっている。そこを進みながら私は鈴木さんと語らった。

「仏舎利塔が建立されるとすれば、恐らくこのあたりだろうか・・・・・」

と。若し、それが実現すれば、仏舎利塔は世界平和の万霊供養塔のそばにあって、遙かに富士の御来光に対する。その偉観は想像するにも余りあろう。

そして、これほどの高山に、これほどの大自然の景観を得た仏舎利塔は、恐らく全世界にもその類を見ないであろう。

ほどなく、右手の木の間がくれに一ノ池の南端が見える。その淵は池の「お土」で白くなっている。

池の広さは直径凡そ三百メートル。その底はすべて「お土」と云われている硅藻土である。この硅藻土が、切傷・腫物・感冒・熱さまし・胃腸病等々に卓効があるため、池を別名「無熱池」「霊池」と呼び、またこれを「お土」といって毎年七月下旬、池より採取し、そのまま薬として寺務所の受付で、希望者にわけられている。(昭和35年当時のこと)

然し、この「お土」は採っても採っても、採りつくされるものではない。池の水はさほど深くはないが、底の「お土」は底なし、と云われるほど深いからである。


聞けば、硅藻土とは本来、何尋という深い海の底にあるものという。若し、一ノ池が、もと何尋という海底にあったということが事実とするならば、地質学的に言って、七面山は何万年か何億年かの大昔、海底の隆起によって出来た山であるとも考えられよう。

ともかく一ノ池の「お土」は、七面山に関する大自然の不思議の一つを物語っている。

細い道は、原始林の中をなだらかに上っている。

道端には兎や鹿の糞が、あちらこちらに転がっている。鈴木さんが草むらのくぼんだ所を指して、

「鹿の寝ていた跡かもしれない」

と言った。随身門よりナナイタガレにかけては、色々な獣の通った跡がある。恐らく一ノ池の水を飲みに通った獣の跡であろう。

やがてナナイタガレの淵に出る。崖は見上げるように高い山頂より急転直下、鋭い爪後を残して眼下遙かに山麓まで続き、方一里余に及ぶという崖の全体は、さながら巨大な摺り鉢の如く、その底には七面山の地下水が滔々として吹き出し、奔流となって春気川へそそいでいる。

削ぎ立った崖の肌は赤黒く、岩は鋸のように鋭い。足元を注意しながら覗いていれば、今にも吸い込まれそうな無気味さ、下より吹き上げる風は夏なお肌寒く、ナナイタガレの全景は、奇観というより寧ろ、あらぶる神の力を現わすが如くである。宗祖はここを称して鉄門に似たり、と仰せられているが、将しくその形容にふさわしい。

これより山頂の三角点まで、道は急にけわしくなる。道は山頂を越えて梅ヶ島へ抜けるハイキングコースとなっているが、通る人も稀なため、道はいよいよ狭く、けわしい所はけわしいまま、崖の淵にそって上っている。

あたりは白樺の巨木が無数に倒れ、枯れたまま天を沖する魔物のような梢は、そのまま深山の風情を伝える絶好の被写体である。

遂に標高一九八二メートルの三角点に立つ。一帯は、なだらかな台地となり、三角点の下から崖の淵までの間には三ノ池の跡がある。湿ったくぼみにはシダが密生している。

ここより正面に富士が望めることは言うまでもないが、眼を転じて背後をふりかえれば、雨畑の山遠く、雄大なる赤石岳の連峯が望める。

やがて下山の途につく、再び本社の前へ引き返しそれより裏参道を下る。