ジンジャーエールと低気圧

ジンジャーエールと低気圧

日食なつこの雑記。誰のためにも書いていません。

 

 

 

山の家にいます。

「修験場」と呼ばしめているこの家の近辺は、今夜はなんだかべらぼうに風が強いです。

春一番というやつでしょうか。

 

コンポストの中身を乾燥させたくて、蓋を開けておいて、それが飛ばないように撹拌用のスコップを重しに乗せておきました。

明日の朝には蓋どころかコンポスト本体ごとぶっ飛んでいるかもしれません。

 

近況。

いろんな宿題が程よいところにまとまりそうな兆しで、やや機嫌が良いです。よう踏ん張りやした己。

 

 

 

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いつも飲んでいるジンのボトルが空いたので、満を辞して某Kuradashiで溜め買いしてみたハイランドクイーンとやらを開栓しました。

直線的に開ける、太くて甘い香り。これは日々のささやかなご褒美酒として飲めそうなやつです。

いい買い物をしました。

 

 

 

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程よい酔いに呼ばれて久々に「rough 'n' frank night」という、酒飲みしながら延々流す用プレイリストを爆音でかけてみました。

 

が、前より酔えない…?

酔えないというか、前より平静のままで聴けてしまうと言った方がいいのか。

 

多分ですが、コロナ禍という名の、私にとっては正直長い休暇でもあったようなあの頃、今住まう地とはまた別の山奥にて、気ままに暮らし呆けに呆けたあの頃の幻想が醒めつつあるということなのかもしれないです、これは。

 

あの頃は大した偉業を成し遂げていなくても生き延びて音楽を発信できているだけで世の中に赦しを付与してもらえた時節でした。 

だからこそ、今思えば、幸福のハードルも激低でした。

 

ぼんやり大味で大雑破な幸福、そこまで解像度を上げて粗探ししなくてもいい幸福、それをなんとなく保持して低空で管制塔からの飛翔許可を待機している時分だったのでしょうね。
完全に最前線に戻った今となっては、その頃に果てしない幸福だったものものがあっけなくそこまで刺激も恩恵も見出せないものに型落ちしたという現実、それはおそらく、前進の証なのです。
何も背負わず幸せにたゆたっていられたあの場所はもう、戻る必要のない場所なのです。
 
 
 
そう気がつけた夜を、記録しておいた方がいいだろうと直感して久々にここを訪れました。
 
細部まで作り込んで突き詰めて、怪我をして、怪我をさせて、それでもより微視的なスポットを狙い撃ちしながら、階段を昇っているであろう、今。
…長い休暇に寝転んでいた頃の己が見たならば、間違いなく眩く思うはずなのです。
 
 
 
 
 
 

冬の終わり、洋酒の湯割りをすすって、そんなことにこっそり気が付く山奥の夜。

こうしてまた新しいステージに足を踏み入れつつも、人生は淡々と更けてゆくのであります。

 

 
 
 
 
 
そういえばこの名前の別称を冠したバーに昨年末ライブ帰りでたまたまふらっと1人飲みに寄ったんですよね。
なんでもかんでも運命めいたものに結び上げられるなぁ。
それも感度次第か。定期的にメンテしていきましょう。
 
 
 
以上。