今朝のテレビで放映されていた。いくら自然災害でによる被害といっても、色々(千差万別)な境遇の方が未だ立ち直れず・立ち直る切っ掛けさえ見出せず、また行政の救済策の谷間に取り残されて如何様にもできずもがき苦しみ、その日暮らしをして苦労されている方、また生きる気力を奪われ、生きる見通しすら見つからずアルコールに走っている人などの紹介があっていた、これらの方に対しNPOの方が、埋もれて全く表面に表れていない深刻な状況の方を発掘すべく個別的に訪問し(日中に不在であれば夜間にも訪問して)個別の現状を把握し、各援助機関に繋いだり、NPO機関自身で対応できることは、速やかに対応されていた。アルコールに依存傾向の男性の方には、精神科医と連携し、その方の趣味であるDIY日曜大工を生かして高齢の被災女性宅の入浴時に必要な腰掛を作ってあげたりして徐々に生きる意欲を取り戻しつつあられる現状報告もあっていた。

今全国各地で近年稀にみる大震災や集中豪雨等が頻発し、突然の想定外の所謂自然災害によって、それこそ生活の本拠基盤である家屋に大損害を受け、慣れ親しんだ「故郷」から謂わば強制的に追い出され転地での不自由な生活を余儀なくされ、その個人の財産・私財では到底再建不可能な方も相当おられるようです。

ここで私が思うことは、①このような被害者の方に、国・行政は全体的救済はできても、個人救済は殆ど困難だということ

②ところが被害者の方の被害が大きければ大きいほど(つまり自力再建が困難な状況であれば)、被害者の方は、何かお上(国)が何とかしてはくれはしないだろうかとほのかな期待とでもいえる思いを抱かれるかも知れませんが、思われる心情は痛いほど理解できますが、自力での道しかないのです。

③また直接の被害者以外の人々は、被害状況の報道で「被害者の窮状」に一時的に共感しても日々疎くなっていきます。これは人間として本当に冷たい感じがしますが仕方ないことではないでしようか。でもこのことに関しては、あの神戸の大震災以来、「被害の惨状」に個人的に共感して他人事とはとうてい思えないと、「被災地ボランティア」をされる老若男女の方が年々増加傾向にあるようで私は感謝の気持ちでいっぱいです。またこの「災害ボランティア」を受けいれた被災地の方がお返しにと他の被災地ボランティアに出向かれていることも知っています。日本人の昔からの「共生意識感」を感じます。

④最後に、わたしはこれまでに述べてきたことから、なぜ「被災を被った方だけが」こんな苦しい思いをされなけてばならないのか?

被災を受けなかった人は、幸運な者としてこのまま日々の生活を送って良いのだろうか? わたしは、最近の全世界的自然災害の頻発(今も米国カリフォルニアの山火事は燃え続けているようですが…)は、人類に対する「大自然からのメッセージ」としか思えないのですが…

被災者の「再建困難な状況・窮状」は、人類に対する「今の生活の在り方」に対するメッセージでもあると思っています。