小学生の臨海学舎で、天橋立(あまのはしだて)に
行きました。
遠泳で、みんなで泳ぐ。
その前に、記念撮影。
その後、さらに遠泳。
泳ぎ終わって、先生たちがざわついています。
慌ただしく、宿に戻るようにとの指示、
とにかく、皆んなで集合して、宿へ、そして部屋へ。
その後のことは、あまりよく記憶していないのですが、
食事をして、部屋割りされた部屋へ。
5人だったか、6人だったかの相部屋。
私の部屋に一つ誰も寝ていない布団がありました。
その日は、その布団に友人が戻ってくることを
待ちながら、夜を過ごしました。
しかし、
彼は、戻ってこれませんでした。
修学旅行の一行の帰阪から、一週間ほど遅れて、
彼はバスではなく棺で戻ってきました。
その時の校長先生のお話、その内容は覚えていないのですが、
表情と姿は、ありありと記憶しています。
戦争で右足を焼夷弾で撃ち抜かれ、その足を引きずりながら
普段は笑顔で、堂々とお話しされていた校長先生。
大きなその体を、小さく小さくしてお話しされていました。
さらに印象に残っているのが、
担任のT先生です。
これまでお会いしたどんな先生よりも情熱的な先生。
教室の皆んなが、大好きな先生。
大人になって、
憔悴するとは、こいうことかと理解できた。
その当時は、T先生の心の痛みは、私は理解できていなかったと思います。
仲間を急な事故で失った私たちに
T先生が、私たちにこの歌をプレゼントしてくれました。
この歌に支えられて、これまで生きてきたのかもしれません。
生きてりゃいいさ。