西野流呼吸法 自己エネルギー昂揚

 

 

 

 対気では、最初にまず手を合わせて、お互いに生命エネルギーの交流を行います。

 

最初に手を合わせるのは、手が身体のなかのセンサーとして大きな役割を持っているからです。

 

 脳は相手とのコミュニケーションを言葉で行なっていますが、手は、言葉なしで直接相手に働きかけるセンサーなのです。

 

手探りで知るということは、嗅覚で感じるということと同じように、人間生活になくてはならないものです。

 

 センサーとしての手が対気によって触れ合って、生命エネルギーの交流を行っていくうちに、その交流は全身に及んできます。

 

なぜそうなるのかというと、それは『一が全てで全てが一である』からなのです。

 

『一が全てで全てが一である』。これは、西野流呼吸法を創始した原点となるフィロソフィー(哲学)の一つで、「一つの細胞は全てを含んでいる」ということですが、この概念は、最近のクローン動物の誕生によって科学でも証明された、と言っていいでしょう。

 

 一つの細胞がすべてを含んでいる・・・

 

手はセンサーであるけれども、また手は身体の全てでもあるわけです。それで次第に手で感じたものが身体で感じ取れるようになります。

 

 そして、身体で感じ取れるようになったとき、身体全体がパワーを発することが分かり、

 

そういう身体が出来たときに対気でエネルギーを交流すると、相手か自分のどちらかが弾き飛ばされてしまうのです。
(略)

 

しかし、弾け飛ぶのは、(略)エネルギーが漲っている証拠です。エネルギーのない人は、どんなに大きなパワーと交流しても反応しません。

 

空気がいっぱい詰まったボールは打てば飛ぶけれど、空気の抜けたボールは思い切り打っても飛ばないのと同じ理屈です。

 

 鉄でできている球も飛びません。鉄球は、相手が木であればそれを折ることもできるでしょうが、相手がもっとすごい鉄塔だったら、ゴツンと当たって自分が落ちてしまいます。
(略)

 

西野流が求めているのは、鉄球ではなく、空気がパンパンに漲ったゴムまりのような身体です。

 

窮地に追い込まれたり、危険にさらされたときにも、傷つくことなくポーンとはね返って自己防衛できるような、フレキシブルな身体です。

 

 

 

 

 

 

 

今回朗読した西野先生の本はこちら下矢印総本部には見本はありますが、販売はしていないので、興味のある方は、図書館かネット、古本屋さんでお探しくださいね✨