クリスマス絵本『ジップ&キャンディ』を全ページ無料公開します(中編)


 2019.12.16 by 西野亮廣エンタメ研究所




ジップが今日、キャンディをつれてきたのは丘の上にある一本のモミの木の前。
「ジップ、これは?」
「これはクリスマスツリーさ」
「クリスマスツリー?」
「クリスマス・イブの夜にサンタクロースがトナカイと待ち合わせる場所。
ここから夢がはじまるんだぜ」
「なんだかステキなお話ね」
ジップが顔を赤らめて言います。
「ねぇ、キャンディ。クリスマス・イブの夜にいっしょにここに来ない?」
「どうして?」
「まぁ、その……ここだと、サンタクロースやトナカイも見られるし」
そんなのはもちろんウソっぱちで、ジップはキャンディとふたりで
クリスマス・イブをすごしたかったのです。
「いいよ。なんだか楽しそうね」
アッサリと返事をもらったジップは大よろこび。
「ホント? 本当に? 約束だよ」
「うん、ヤクソク」
ニッコリと笑うキャンディをとても愛おしく思いました。
「そろそろ、帰ろうか」
ビュンビュンビュン。



「いつもありがとう、ジップ。あなたといるとホントウに楽しいわ」
「あたりまえさ、なんてったってボクは最新型ロボットだからね。なんだってできるんだ」
「ウフフ」
「それじゃオヤスミ、キャンディ」
そう言って、ふたりは別れました。
ビュンビュンビュンビュン。
今日もうれしさをがまんできないジップは、いつまでもいつまでも飛びまわりました。
お星さまたちもこの光景には慣れっこ、ニコニコとジップを見守ってくれました。



ふたりで街を歩いていたある日のこと。
ジップは、隣のキャンディに言いました。
「それで階段をのぼるのはたいへんだろう? キャンディのキャタピラーも翼に変わればいいのにね」
キャンディは首をかしげ、ジップにたずねました。
「キャタピラー?」
なにをいまさら、とジップがことばを返します。
「キャタピラーだよ、キャタピラー」
「キャタピラーってナニ?」
キャンディの様子がいつもと少しちがいます。
「キミの足についているソレさ。どうしたのさ、キャンディ?」
「へぇ〜、コレはキャタピラーっていうんだ。やっぱりジップはなんでも知ってるね」
「生まれたときからついてただろ? ねぇ、キャンディ?」
キャンディは自分のキャタピラーをめずらしそうにずっと見ています。
キャンディの様子が少しおかしい、と心配になったジップは、
今日は彼女をはやくに研究所へ帰すことにしました。



つぎの日も、そしてそのつぎの日も、彼女の様子が少しずつおかしくなりました。
「オテツダイってナニ?」「オソウジってナニ?」
キャンディのもの忘れは、日に日にひどくなっていきます。
キャンディは旧型ロボット。もしかしたら故障してしまったのかもしれません。
そしてその責任が自分にあるかもしれない。
不安になったジップは言いました。
「キャンディ、研究所へ帰ろう」
ジップは、すべての事情をサンドイッチ博士に話すことに決めたのです。



無断でキャンディを外へつれだしてしまったこと、そしてキャンディの様子が
最近少しおかしいことを、すべて正直にサンドイッチ博士に話しました。
「なんてことをしてくれたんじゃ」
おさえた声の中にサンドイッチ博士の憤りがたしかに感じられました。
これにはジップも言い返します。
「博士だって、こんなせまい研究所にキャンディをとじこめてかわいそうじゃないか!
ボクはキャンディに外の世界を教えてあげたかっただけなんだよ!」
サンドイッチ博士はジップの目をじっと見て、そして静かに言いました。
「だからキャンディの記憶が消えたんじゃよ」



サンドイッチ博士は話をつづけます。
「キミとちがって、キャンディは旧型ロボット。メモリーに記憶できる容量が少ないんじゃ。
新しいデータを入れすぎてしまうと、古いデータから順に消えていってしまうんじゃよ」
ジップはなにも言い返せなくなりました。
博士がキャンディに外出を禁止した理由は、新しいデータを入れることで
古いデータを消してしまわないためだったのです。
ジップはそうとは知らずにキャンディを外へつれだし、たくさん教えてしまいました。
そして、そのせいで、キャンディの昔の記憶を消してしまったのです。
ジップは大好きなキャンディの思い出をうばってしまったのです。
「悪いが、もうキャンディとはあわんでくれ」
サンドイッチ博士もこんなことは言いたくなかったのですが、
これもキャンディの思い出を守るためにはしかたありません。
そのことばにジップは静かにうなずきました。
「ドウシテ? ドウシテ?」
研究所を後にするジップの背中に、キャンディの声が響きます。



帰り道はトボトボと歩きました。
夜空のお星さまたちが心配そうにジップを見ています。
キャンディにたくさんのことを教えてしまったせいで、彼女の古い思い出を消してしまった。
ジップの頭の中では、そのことがずっとグルグルとまわっていました。



やがて冬がやってきて、街に雪が降りはじめました。
キャンディとあわなくなってずいぶん経ちましたが、あの日以来、
ジップは空を飛んでいません。飛び気になれなかったのです。
なにもできないまま、ジップは、キャンディとすごした日のことを
ただボンヤリと思い返していました。
ボクは、キャンディの思い出をうばってしまった。できることなら、
消えてしまったキャンディの思い出をとりもどしたい。だけど、どうすりゃいいんだ。
ボクにはなにができるっていうんだ。ボクは深い穴に落ちてしまったよ。
そのときです。
―― 穴ぼこに落っこちたときはジタビタするの ――
あの日、キャンディが言ったことばがふとよみがえります。
「ひとりで抜けだせないときはジタビタと物音をたてて助けを呼ぶのよ」
キャンディは言いました。
消えてしまったキャンディの思い出をとりもどす方法が、
今のボクにはなにひとつ思いつかない。
だけど、止まっていちゃはじまらない。なんだっていい。とにかく動かなきゃ。
ジタバタしなきゃ。



ジップはふたたび研究所に行きました。
研究所から出てきたサンドイッチ博士に、ジップはつめよります。
「ごめんなさい、博士。また来ちゃった。ねぇ、博士。消えてしまったキャンディの記憶は、
もうどうやってももどらないのかい?」
ジップは博士にせいいっぱいうったえかけますが、博士は静かにだまったまんまです。
博士もジップの気持ちがじゅうぶんすぎるほどわかっていたのです。
「このままじゃいやだよ! ボクのせいでキャンディの思い出が消えてしまったんだ。
なんとかしたいといっぱい考えたけど、ボクはバカだからなにも思いつかないんだ。
ねぇ、博士! 博士なら知ってるんだろ? キャンディの思い出をとりもどす方法を。
教えてくれよ。お願いだよ」
ジップの心は今にもこわれてしまいそうでした。



「ひとつだけあるんじゃが」
サンドイッチ博士の重い口がついにひらきました。
「ボクはなんだってする。だから教えておくれよ!」
ジップはすべてをなげうつ覚悟をしていました。
博士は苦い表情を浮かべ、とても言いづらそうに話しはじめました。
「メモリーの容量がちょうどいっぱいになったときに、キャンディのメモリーはディスクに
コピーして別に保管してある。そいつを移しかえればもとにはもどる」
ジップの頭にひとつの疑問が浮かびます。
「博士、ちょっとまっておくれよ。キャンディのメモリーはいつからいっぱいだったんだよ?」
「……私が外出を禁止したとき。つまり、キミがキャンディと出あう前じゃ」
ジップはことばを失いました。


話をつづける博士もつらそうでした。
「キミと出あった瞬間から、キミの名前を覚えた瞬間から、キャンディの古い記憶は
押しだされるようにして順に失われていったんじゃ。
もう一度古い記憶をすべてとりもどすには、コピーしてあるディスクを入れて再起動すればいい。
だが、それをするとキャンディはキミのことを忘れてしまうぞ。それでもいいのかい?」
それはジップにとって、とてもツライ宣告でした。
大好きなキャンディに思い出をとりもどさせてあげたい。
だけどそれは同時に自分のことを忘れさせてしまうことになる。
しかしジップは迷いませんでした。
「お願いします」
ジップはキャンディの思い出をとりもどすことを選びました。



その夜。
電源を落とされたキャンディに、
もとの記憶がつまっているコピーディスクが入れられました。
もう二度と新しい記憶が入らないように、博士はデータにロックをかけました。
これでキャンディはなにも新しく覚えることのできないからだになってしまいました。
おてつだいロボットなので、用事をこなすための二、三時間程度の記憶はできるのですが、
その記憶を翌日まで残しておくようなことはできません。
博士にとっても、愛するキャンディのインプットを止めてしまうこの行為は
とてもツライものでした。しかし、そのやさしさがあだとなり、
今回の事態をひきおこしてしまったので、博士は気持ちをおしころし、
キャンディにロックをかけました。
ふたたび電源が入れられたキャンディはそれまでのように研究所内を動きまわります。
「こんにちは、ハジメマシテ。ワタシはキャンディ」
もうジップのことは覚えていません。
「や、やあ。ボクはジップだよ」
「ジップ? あら、ステキな名前ね」
この会話も明日になれば忘れてしまいます。



「博士、ありがとう。そして、さようなら、キャンディ」
ジップは研究所を去りました。
サンドイッチ博士はジップの背中が見えなくなるまで、ずっと見送っていました。
「ジップや。生きることは、背負うことだよ。どうにもならないことがこの世の中にはある。
だけど大切なのは、それを受けとめて、その中でキミがどう生きるかだ」


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