今日は、お歯黒の染色剤の一つとして利用された五倍子の話の続きとする。

 

まずは、五倍子のできる木、ヌルデについてまとめておきたい。
ただ植物についてはあまり詳しくないので下記のサイトを参考にさせていただき、
以下、覚え書きとする。

 


ヌルデは全国の道端に自生しているウルシ科の落葉低木。
秋には綺麗な朱色に染まるためヌルデモミジとも呼ばれるという。
名の由来は、木を傷つけて白い樹液を集め塗料に使用したことによるとされる。

*月刊 杉WEBバン :いろいろな樹木とその利用/第8回 「ヌルデ」より引用

 

 

ウルシ、樹液と聞くと、かぶれそうと思うのだが、これは違うらしい。
参考サイト(日本科学協会 科学実験データベース)によれば、”ヌルデの実を舐めてみよう”などと示されているので、安全ではあるようだ。
ただ、希にはあるとのことで過敏症の人は注意した方が良い。

 

葉は9~13枚の小葉からなる奇数羽状複葉とされるものの、
ばっと見、どこでもありそうな葉っぱで見分けがつかなさそうである。
しかし、簡単に見分けがつく特徴がある。
それは、葉軸に翼(よく)があるということ。
葉軸は平たく言って枝で、これにヒレ状.の葉(翼)がついている。

 

*wikipedia 「ヌルデ」より画像引用、改変


これなら分かりそうだ。

 


ヌルデは、別名フシノキ、カチノキ(カツノキ)という。
”フシノキは、後述する生薬の付子がとれる木の意である。カチノキ(勝の木)は、聖徳太子が蘇我馬子と物部守屋の戦いに際し、ヌルデの木で仏像を作り、馬子の戦勝を祈願したとの伝承から。(wikipediaより)”

 

さて、”カチノキ(カツノキ)”と聞くと広島の人ならピンとくるかもしれない。
広島市安佐北区には、勝木(かつぎ)という町がある。
そう、この勝木は、このカチノキを由来にするそうである。

 


勝木(かつぎ)
大毛寺川・行森川の流域に位置する。地名の由来は、采配の柄となる勝木(フシノキとも)の大木がフシノ木原の観音寺跡にあったことによる。(郡中国郡志)勝木村は、江戸期からの村名。安芸国高宮郡(もと安北郡)法泉庵薬師堂は仏護寺十二坊のひとつ報専坊(広島寺町)の故地で、もと真言宗実相山法泉寺と号す。明治22年に亀山村の大字となる。
可部町勝木(かべちょうかつぎ)
明治22年に亀山村の大字、昭和30年に可部町、昭和47年に広島市、昭和55年に広島市安佐北区となる。昭和61年に一部が亀山1~9丁目となる。

(参考サイト3)より引用)

 

 

 

掘り下げると中々興味深く、非常に勉強になった。
次回は、本題の五倍子について触れる予定。

 

 

■参考文献
1)月刊 杉WEBバン :いろいろな樹木とその利用/第8回 「ヌルデ」 

http://www.m-sugi.com/43/m-sugi_43_iwai.htm

2)社団法人 日本科学協会 科学実験データベース
「ヌルデの実をなめてみよう」
http://www.jss.or.jp/fukyu/kagaku/data/356.html
「虫こぶ(虫えい)を探そう」

http://www.jss.or.jp/fukyu/kagaku/data/180.html

3)広島の風景

http://park1.wakwak.com/~vine/mati/asakita/asakita.html