先日、報道されたニュース記事。

日経

*日本経済新聞WEB版:「震災犠牲者の身元確認、DNAより歯型が有効」(http://www.nikkei.com/article/DGXLZO98375320S6A310C1000000/)より引用


この記事を見てまっさきに頭に浮かんだのが、
はじめて受けた”法歯学”の授業のこと

今から20数年前、歯学部の専門課程にあがって4年目の時である。

その日は、梅雨の晴れ間の1日、午後から東京歯科大学の教授を招聘しての特講(特別講義)が予定されていた。
この講義には試験がなく、特に単位にも影響ないことから代返を頼みサボるつもりだった。

昼休憩、学食で大学に残った先輩らと話をしていると
「この講義はとにかく面白いけぇ、聞いとけ…」
「この先、受けたくても中々受けられん授業になるから」

「魂に響くで…」

この助言が、確かで正しかったことは、今も鮮明に残る記憶をもとにこのブログをタイプしている事実からも明らかだろう。

昼食後の講義室、部屋には学生だけではなく授業担当講座以外の先生も数名立ち見で見学に来られており、単なる特別授業でないことは容易に想像できた。

講師をつとめられる先生は、東京歯科大学法歯学教室の鈴木和男教授。

「法歯学…」、
講義の始まりを待つ間、机に顔をうずめ、

「法医学をもじった言葉だろうか?」
「歯から何か事件を紐解く鑑識、捜査活動に役立つ学問?」
「法律、鑑識、警察etc.…、お堅い言葉が並ぶ。きっと、いつも白衣を着ていて、厳しい顔つき、どちらかといえば少々根暗な容姿だろう」

初めて聞くこの名に勝手な想像を巡らした。

瞼の重さが極限に達し意識が消失しかける頃、教室前方入り口のドアが勢いよく開き、
学部長に付き添われた鈴木先生が姿をみせた。

先生は、明るいベージュ色のスーツを装い、姿勢良く凜とした出で立ちで人なつこい笑顔が印象的だった。
のっけから、抱いていた「法歯学の教授像」は鮮やかに裏切られることになる。

学部長による略歴紹介後、
先生は挨拶もそこそこ、ユーモアを交えた軽妙な語り口で講義を始められた。

当時、CMで流れていた「男の顔は履歴書」を引き合いに出された後、

「歯はその人の生きてきた歴史を物語る履歴書」
そして、
「犯罪捜査・鑑識への応用は勿論あるが…」
「法歯学の主たる研究中心は、個人識別である」
と端的に述べられた。

鈴木先生は、昭和39年に東京歯科大学に設置された我が国初の法医学研究機関となる「歯科法医学研究室(現、法歯学・法人類学講座)」の初代主任教授をつとめられ、この分野の先駆者として知られていた(日本犯罪学会会長、警察庁科学警察研究所顧問などを歴任)。
講義は、ご自身が携われた国内外の様々な犯罪、災害等のエピソードを交えて解説されたが、その時間の大半は前年に起こった日航ジャンボ機墜落事故に費やされた。
未曾有の大惨事、身元確認作業は困難を極め、昼夜問わずの作業が約3ヶ月に渡って行われたという。

先生が講義の際に度々強調されたことは、
「航空機事故をはじめ大規模事故、災害の際には事故の原因究明よりも犠牲者の身元確認が何よりも優先されなければならない」であった。
当時のマスコミ報道には、事故原因の詮索に偏重していたり、ご遺族の心情に本当に配慮がなされているのか疑わしいと感じるものが多数あったことは良く記憶している。
先生もこのことに触れ、ご遺体、そして悲しみに暮れるご遺族の側で任を遂行された者として憤りさえ感じたと述べられていた。

読売新聞(1985年9月4日付)は「身元確認31%が歯型」というタイトルの元、「国家公安委員長による9月3日までの捜査状況の説明として、遺体確認の決め手は31%が歯型。このほか顔や体の特徴23%、指紋19%、所持品17%、着衣10%などとなっている」という記事をとりあげた。
当時はまだDNA鑑定もない時代、事故後の最終的な歯による識別法をもとにしたご遺体の確認率は45%近くになったといわれる。

先生が確信をもって進めてこられた法歯学の目的、意義実践の正しさが客観的な数字の結果をもって示されたものだった。

そして、それは今も生き続けている。


●参考
鈴木和男著:法歯学の出番です 事件捜査の最前線、中央公論社、東京、1986年.