今日も、杉田玄白の「耄耋独語」の続きから話をすすめてみたい。
前回の出だし、いわゆるプロローグ部分は主に歯の重要性を謳った意義付け文となっていたが、これより玄白自身の歯牙欠損のレビュー、その既往ならびに不自由さの独白になる。
「(歯が)今年は一本、また今年も一本と減り始め・・・」という記述を見る限り、虫歯のために歯が徐々に崩れて欠損が進んだと考えるよりは、歯周病で失っていったと捉える方が良さそうである。60歳頃から歯を失い始め80歳で全てを失ったとのことだが、これは現在の日本人における平均的な欠損進行様相とほぼ同じである。
*拙記事
無歯顎の”推移” -平成23年 歯科疾患実態調査ななめ読み-
歯を失った不自由さは非常に卑近なエピソードで説明している。咀嚼と直結する訳ではないものの、魚を食べる際、口の中でその骨を触知することもできないと嘆くくだりは体現者でなければわからない悲痛なものである。
江戸時代後期の平均寿命が45歳前後であったことを考えると、玄白はたいへん長寿であった。
彼自身、その秘訣は養生であったと述べている。
玄白の古希の前年、一族、門下生により祝う会が催されたが、そのお返しに送ったとされるのが養生訓「養生七不可」である。
なお、「養生七不可」の原文は,国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで見ることができる。
*画像は、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーWEBページより
「ストレスをためるな、食や生活に節制を」と現代にも通じる訓示が掲げられている。
この記事の締めくくりとして、この七箇条(現代文)をあげておく。
『養生七不可』
一 昨日の非は恨悔すべからず。
二 明日の是は慮念すべからず。
三 飲と食とは度を過ごすべからず。
四 正物に非ざれば苟しくも食すべからず。
五 事なき時は薬を服すべからず。
六 壮実を頼んで房を過ごすべからず。
七 動作を勤めて安を好むべからず。
つづく