今日、7月12日は、『日本標準時制定記念日』です。
明石市立天文科学館http://www.am12.jp/
によりますと、
日本標準時は、明治時代におこなわれた国際子午線会議の議決にもとづいて決まりました。
日本標準時が制定されたのは、明治19(1886)年のことです。それは、その2年前の明治17(1884)年にアメリカのワシントンで開催された「本初子午線並計時法万国公会」(以下、国際子午線会議と呼ぶ)の決議にもとづいたものです。
国際子午線会議では、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線を、世界中の経度と時刻の基準とする本初子午線(Prime meridian)として、そこから経度が15度へだたるごとに1時間ずつ時差を持つ時刻を、世界の各国が使用することを決議したのです。これを経帯時といい、世界中に24の経帯時ができることになりました。
この子午線会議の決議にもとづき、明治19(1886)年7月12日に、勅令第51号「本初子午線経度計算方及標準時ノ件」が発布されまいた。その内容は、
一、英国グリニッチ天文台子午儀ノ中心ヲ経過スル子午線ヲ以テ、経度ノ本初子午線トス。
一、経度ハ本初子午線ヨリ起算シ、東西各百八十度ニ至リ、東経ヲ正トシ西経ヲ負トス。
一、明治二十一年一月一日ヨリ、東経百三十五度ノ子午線ノ時ヲ以テ、本邦一般ノ標準時ト定ム。
というものです。
このようにして、明治21年1月1日午前0時0分に、内務省地理局観象台から全国の電信局に通報され、東京やその他の都市で号砲のあるところでは号砲を発し、日本標準時が使用され始めたのです。この時から、明石の地方時が日本全国の標準時となったのです。
ちなみに、7月13日が「日本標準時制定記念日」という説もございます。
私の標準時は、「腹時計」です(・ω・)/
「腹時計」といってバカにしてはいけませんよ。
人間の神秘というか、謎というか、実に正確に、からだは、時を刻んでいます。
そんな不思議な時計も近年少しずつ解明されてきました。
「睡眠リズムと体内時計のはなし」 日刊工業新聞社刊 1260円
http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9979554649
光の入らない地下壕に人間を閉じ込め、時計はもちろん与えず、照明のオン・オフ、食事などはすべて本人任せにし、その行動の記録をとってみる。すると、昼夜はまったく分からないはずなのに、だいたい1日の周期で寝起きを繰り返し、体温も通常の変動リズムを刻み、体のリズムが消滅することはないのである。私たちの体内にはどんな時計があるのだろう。