嵐山 | 徒然草

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お花の写真や、病院のお知らせなど

今晩は。

 一昨日に引き続き、今日も写真をアップしておきます。

 

嵐山の「渡月橋」付近です。

 

 

庭の「白玉椿」、知らぬ間に一花を残して散っておりました。

一花は、私が見に来るのを待っていたのでしょうか。

 

「シャガ」

 

「大島桜」

 

「紅しだれ」。先週は咲いてなかったのですが、いきなり咲いたようです。

 

「玉之浦椿」

 

灯籠脇の「卜半椿(ぼくはんつばき)」

 

自宅前の「ソメイヨシノ」並木。

 

 

 

診療所の「旭山桜」

 

最後は「南蛮紅(なんばんこう)椿」

 

 院長

 

 ここ30年ほどで医学医療は大きく変わりました。良い方向にか、悪い方向にかは立場によって違うとは思いますが・・・。

 

 臓器移植についても、私が救命にいた頃は法整備が整っておらず、私の正義感というか義侠心から「臓器摘出」をやってしまわないか、当時のエライ先生方に監視されていたものでした。思えば和田移植から30年の空白時代でありました。

 

 当時の日本人にとって、脳死が「人の死」かどうかが真剣に議論され、なかには感情的になる人もいましたし、宗教とのからみもありました。マスコミを含めて賛否両論が渦巻いていたものです。

 

 私個人は「あげたいと言う人がいて、もらいたいと言う人がいるなら、われわれ医師は全力を挙げて取り組むべき」と考えておりましたから、当時発足したばかりの「移植コーディネータ達」と議論と調整を重ねておりました。受け入れ側のドタキャンもございました。

 

 そして、先ずは角膜、背中の皮膚、そして腎臓など、その時点で社会的合意が出来ているものから実施してゆき、日々知識と経験を積み上げて進んでおりましたが、しかしあのとき(私を縛っていた教授の定年と救命の田辺所長の死が重なった「あのとき」)、将来を後輩達に託して10年間の救命生活に終止符を打ったのでした。

 

 そして同じ大学出身の国会議員であられた中山太郎先生ら、お仲間のご努力で「臓器移植法案」が議員立法として成立し(今と違って、まだ政治家が政治をしていた時代)、2019年の改正では本人の生前の意思が明確でない場合でも、家族の意思で臓器提供が出来るようになったのでした(私自身は、これには違和感が有りますが・・)。

 

 ちなみに、2022年もわが国ににおける臓器移植の状況は

心臓移植 79件

肺移植  94件

肝臓移植 76件

肝臓・腎臓同時移植  9件

肝臓・小腸同時移植  1件

膵臓移植 3件

膵臓・腎臓同時移植  27件

腎臓移植 162件

小腸移植 4件    計 455件でした。

 

 私が救命時代の日本では、寄付を集めて高いお金を払って外国にまで子供の心臓手術を受けに行かなければならなかった(こういったことがニュースになった)。それでも日本人にはなかなか臓器提供者が現れない。そしてそのまま現地で命の火を消してしまった事が多かったのです。

 そんな悲しい出来事の数々が、あくまでわれわれの意思で、われわれの将来にはなくなっていることを願うばかりです。