何か異常に忙しい・・・・ような気がする・・。コロナ流行に伴う様々な規制が緩和され、徐々に以前の仕事内容に戻ってきているからだと身を持って感ずる今日この頃。
そんでもって、講演以来も少しばかり頂き、過日は待ちに待った「広島市」へお呼ばれでした
マツダスタジアムを見学しようと思いましたが、工事中でダメだって
しかし、広島駅のあまりの変貌ぶりにしばらく浦島太郎状態・・・。
まだ半分だけで、しかも裏玄関だけのターミナルでしたが、それでも凄い活気でした
メインとなる南口ターミナルは外観は確認できましたが、写真のようにかなりの規模の大きさとなるようです。
隣接地には30階のアパホテルの建設も決定しているとのことで、旅行者には朗報です!
送迎の車中からは何やら大きな競技場が見えたのですが、サンフレッチェ広島の新たなサッカー専用スタジアムとのことで、これもかなりの大きさで驚きました~。
さて、カープを愛するわたくしにとって、広島での講演はまた格別で、特に広島女子の方言「うちはネ~」って言い方が大好きなのですぅ~~~・・・「うち」とは「わたし」の意。
実は中国地方とは日本語の原点が数多く残っている地域であることは案外知られておりません。
今回の講演では、この「うち」について少しばかりお話しました!
全国的に「うち」とは「私」ではなく、「家(うち)」を示しますネ!
「わたし」と「家」では全くその意が異なるように感じますが、実はその源は全く同じなのです。
いつも綴っている通り、我が国の先人は、四季の自然の営みを制覇するのはなく、そこに自らの営みを見出すという共生観・・・これをわたしは「二次的自然」と表現しており、自然界に存在する数多の現象をライフスタイルに匠に取り入れる国柄を創世して発達してまいりました。
ふる里の山脈は「おにぎり」に、大自然のパノラマは「庭園」に、自然の営みを「神様」と尊崇し建立した神社は「神棚」に・・・とにかくキリがないほどに、生活空間に「自然の営み」を取り入れました。
そして、自然を構成する全ての頂点に立つ恵みは「太陽の光」であり、これは「アマテラス大神」として、また一般的には「お日さま」と敬まわれ、その熱は「火」として、家々の生活空間に取り入れられたのです。
しかし、「火」には大きな弱点があります・・・。
それは「水」や「風」の力に消されてしまう点です・・・。
火事になってはいけませんが、煮炊きしたり、寒さを凌ぐのには「火」は絶やしてはいけない神聖な恵みだったのです。
そこで先人が考えたのが、自らの居住区域を「空間化」することでした。
言い換えれば「壁(かべ)」を設けることだったのです。
これが「内」と「外=外界」の概念が誕生したきっかけです
つまり現在わたしたちが口にする「内(うち)」が「家」と同意なのも、元を同じにするからなのですネ。
もう少し踏み込むと、外壁とは「火」を守るために発明されたものであり、そのヒントは、私たち自身の「体」にあったのです。
先人は目に見えぬ魂を「御霊(みたま)」と呼び、これを「霊(ひ)」とも言いました。それは燃えがる炎のような存在で、生きるための動力源と考えたからです。
体とは「霊(ひ)」を守るための「殻(から)ですから「殻だ=体」であり、霊が留まっている状態を「霊留(ひと)=人」と言うのです。
その概念が色濃く残っていた時代、人は自身を「うち」と言うようになったのです←専門的にはそーとー面倒くさいので、めっちゃ大雑把に述べてしまいました~~。
つまり「家(うち)」に「火」があって生活出来るように、人もまた「内」に「霊(ひ)」があってこその霊留(ひと)なのです
故に外壁を壊されたら火は消えてしまうように、体を傷つけられたら霊(ひ)の灯火も簡単に消えてしまう・・・それほどまでに「霊(ひ)」は尊いものなのです
だからこそ、人が人様の「霊(ひ)」を消すような行為は、もはや霊留=人という概念を理解していないモノが行う行為で、先人はこれを人ではない存在として時として「鬼畜」と強く非難したのです。←なんでもかんでも人権とか差別とか言われる時がありますが、ちゃんとした知恵を知ったら、実に理にかなった心暖かい動機があったことが理解出来ると思うのです。
文化という言葉は何気なく使われていますが、これもよく吟味すれば「言葉」から「文字」が誕生し、それが今述べたのうに「霊(ひ)」が留まるから「人」と言うように化けてきたことから、「文化」なのです。
ならば、芸能もおしゃれもスポーツも学問も、原点はすべて「文字」であり、それが「化けて」誕生したと解釈出来ますヨネ
だから国柄って大事だし、正しく理解し、これを誇りとして他国の文化と称え合うことこそが、「霊=日」を全ての「本義」したがって「日本」という国名を名付けた先人からの心からの付託だと知ることが出来るはずです