ついに公開となった「シンウルトラマン」!最速で鑑賞したお知合いのご家族から、是非
この記事を再アップして欲しいとのリクエストを頂戴しましたのでリブログしました!
シンウルトラマンに込められた思いがこの記事がど直球に綴られているそうです・・・未見の私にはまだわかりませんが(笑)
更にシンウルトラマンを楽しむためのヒントとなる過去記事のリクエストがありましたので、ここに改めて記載しますネ!
「植物はなぜ熱中症にならない?」の記事から・・
~実は植物って「春夏秋冬」それぞれに強い弱いがちゃんとあって、「夏」に弱い品種は、ちゃんと春に成長して。時世代にタスキを繋ぐのです。
「次世代のタスキ」って何だと思いますか?
そう!「種」です。
「種」と言えば「撒くもの」のイメージしか持ちませんが、あの正体は「自分に適合した季節が到来するまで、その姿を隠しておく仮の身なのです。(仮身=神)
安藤昌益の言葉
「私はこの世からいなくなっても、しばらく穀物へと姿を変えて、やがてまた誰かのお腹に宿り戻ってくる」
つまり「種」の語源は「立根」!
子々孫々から続く「根」を守り続けることは、時に姿を変えることはあっても、その原点を変えなければ、やがて、芽となり幹となって立ち帰り、枝葉(家族)が派生します。
こうした人生を送ることを、先人は「立派(りっぱ)」と表現したのです。
「かぐや姫の意(こころ)のお話」から
暖かい太陽の光に包まれ、この世に生を受け、やがて与えれた人生を全うし、(人はかぐや姫の如く)月夜の光に包まれて帰っていく・・。
でもそこにはもう一つ大事な観点も含まれているのです。
それは親であろうと、子であろうと、もし!大事な人に先立たれても、心に生きる故人の記憶は「不死」そのものなのです(故に富士山という山名がかぐや姫のお話から誕生したのですね)
以前「卵」の話をしました。
卵とは「魂籠(たまご)」がその意(こころ)です。
ならば、生きている私たちの存在や心そのものが、先人の「魂籠=卵」そのものないんじゃないのでしょうか?
日々の時間の中で少しでも構いません。
幼少時代から今日までのじい様・ばあ様・親や先生、友人や親せき、ペットそして大自然の風景などから受けた様々な施し(思いやり)を思い出して下さい。
きっと「ありがとっ!」って感ずる瞬間があったはずですし、思い出すことで、つぎは自分自身が誰かの「魂籠=卵」を養うきっかけになることでしょう!
そこから産まれた新たな心は、多くの世界へと広がって、他者を傷つけない暖かい空気を醸成していく・・。
それが先人が「魂」とは角がない丸く、遍く世界を平等に照らす太陽の光の如く赤い球体とイメージした由縁だと思うのです