国際感覚。
日本にいると、確かに国際感覚というものは、感じる事が難しい。
日本にいて、国際感覚というものは、必要だろうか。というと、ようやく必要だと思わねばならないと思う。
その国際感覚を早く得るには、その地域地域にいった肌感覚だけではなく、その地域に詳しい正しく知っている人に正しく教えてもらうことにあり、それを自分の頭で考えて理解する事だと思う。
その環境作りというものが、とても重要だと認識する。
海外の情報を信憑性をはかり、それを理解する。とても重要と心得る。
不思議と日本にいるとその国際感覚からのずれというものが、少なからずいや、相当ずれているという感覚がある。
それは、正しい知識を得たものが、
何度でも口酸っぱく言い続ける事だと思う。
世の中は、こうなんだよ。こうあるべきだよ。そしてこうしなければならないのだよ。
という全うな思慮、考え、感覚が必要なのだと心得る。
得てして、そういう環境にある方は大変運がよく、幸せである。
元々持っている訳だからそれを活用すれば良い。あるいみもってうまれた環境を活かせさえすればばよい。
その環境づくりはだれでもすぐという事は出来ない。
きちんと学ぶ期間を
その時間を有効に使えばよい。ついて世界を周り、つぶさに自分で感じ、それを理解をする。その繰り返しで、真実やその考え方が身に付くのだと思う。
正しいと思われる知識や教養は求めなければ得られない。
しかし、その環境があれば、その場を理解しその感覚を学べば良い。
なかなか、そういう環境を得る事は難しい。だから、そういう環境に身を置けるというのは、貴重であり、また人間を成長させるのである。
その成長を感じながらも、自分の立ち位置を十分理解し、やれることや、社会に貢献出きることを考えて実行し、話し、伝えれば良い。
結果、そこで評価されずとも周りも理解を得、自分の成長も感じ得る。
国際感覚に話を戻す。国際的な感覚を養うには、繰り返すが、外に出なければ知り得ない。外を知り、日本(自分)を知る。
そこで日本にはない感覚や考えを得た段階で教え導ければよい。
例え、すぐ理解されなくともいつか理解をしてくれるであろうと思い、し続ける事だと思う。
なるほど日本ではこういう考えが主流だが、世界はこうだ。
こうしなければ、平和は維持されない。など。
それはどの分野でもそうだと思う。
耳の聞こえが悪い方には、手書きでも自分の意思を伝え理解を得る。
また、相手の意思を理解する手段をもつ。
困っている人には尋ね、それを聞き
、その困っている事をなるべく速く解決させて、元の状態へ戻してあげる。
また、悪くならないようにアドバイスし、それが出来なければサポートをする。そしてよりよくなるように話をし、理解を得る努力をし続ける。
理解を得られなければ、理解を得る時間を取り、話をする。
そしてこうあるべきだと話してみる。
考えをぶつけ合うのも必要かもしれない。
そして意見の相違があれども、相手を理解する。
様々な境遇や場面で、その感覚が生きる。
私達は、残念ながらその国際感覚を持った導くべき指導者を失ってしまったように感じる。大変残念であり、そのぶれない感覚は、怖さを感じながらも保持しはじめなければならないと感じてしまう。
慎んでご冥福をお祈りします。