今週のチャイルドセラピーのテーマブログ、
タイトルは

あの時の母の気持ちと、母の愛

です!

聴くブログは、ラジオトークから〜🌸



小学4年生くらいになった時から、
髪をショートカットにし
着る服も靴も、
男の子が着るようなデザインのものを
選ぶようになり
中学に上がるまでスカートを一切穿かなく
なりました。

なぜだか思い出せないけれど、
可愛いものや女の子らしいものが
ことごとく苦手になってしまって。

その頃は
可愛いよりも、カッコイイの方に
興味があったんですよね。

度々、男の子に間違えられること3年。
難題がやってきました…

小学校の卒業式!

当時、女の子が着る式典のハレ着は
大体ブレザー、シャツにリボン、
チェックやプリーツのスカート。
または、ワンピースにボレロスタイルが定番で。

いつも買い物に行くイトーヨーカドーにも、
これらの商品がたくさん並んでありました。
何を見ても、何度見ても、
これらを着ている自分が想像出来ない…
今まで避けてきた、
「可愛い」が全部詰まっているように感じて、
私は試着すら出来ませんでした。

さてさて困った。
母が一番困っていたと思います。

電車に乗ってもう一つ隣りの街まで、
探しに行くことにしました。

なぜ、このお店が気になったのか…
足が吸い込まれるように入っていったような
気もするのですが、
もしかすると、女性が着るパンツスーツを
店頭で見かけたからかもしれません。

私と母が入ったのは、
社会人の方が着るリクルートスーツを
販売しているお店。

ディスプレイされたストライプのスーツや、
襟が少し空いたYシャツがカッコよく見えて。

店内を見ている時、
ある一着のスーツに目が止まりました。
「これが良い」と言った時、
母は心底ビッックリしたのではないかと
思います…

私が選んだのは、上下真っ白のスーツ。
今の私も、母と同じように
「これ!?これなの!?」
と言うと思います。笑

店員さんに一番小さなサイズを出してもらって
試着室へ。
この時の母の心情は、
「一回試着させてみて、
やっぱり無いなと思って気が済めばいいか」
だったかもしれません。(想像だけど…笑)

でもその淡い期待はすぐに泡となり…

真っ白のパンツに足を通し
真っ白のジャケットを羽織り
その姿を試着室の鏡で見た時、
「いいじゃん」と思ったのです。
「カッコイイ!」と。

私の記憶の中で、遡った中で、
「これだ!」と”ピンときた”体験って
これが初めてだったような気がします。

店員さんも「わ〜!良いですね、素敵ですね」
と言って、
すごく褒めてくれた記憶があります。
お世辞だったのかもしれませんが、笑
リップサービスで言ってくれてると
勘づくには経験値の足りない小学生の私は、
その言葉をそっくりそのまま素直に受け取り、
母に「これにする」と言い切ったのです。

私は自分の意思を通す、(よく言えば)
頑固ちゃんというか。
こうだと思ったらこう!と曲げない部分が
ある子供だったので、(今もある笑)
言ってもしょうがない…
と母は諦めたのかもしれません。。

卒業式当日、
私は真っ白のスーツと
兄の淡い色味のブルーのシャツ、
兄のネクタイ、
足下は母の黒いブーツを借り、
髪の毛は兄が使っていた
使い方がよく分からないジェルで
髪をピシッとさせ、
卒業式へと向かいました。

友達も先生もビックリしてました。
友達のお母さん達には
「宝塚みたい!」と言われたり。

体育館の入隊場、壇上に上がって卒業証書をもらう順番を待っている時、練習の時よりももっと、
背筋がピシッと伸びて、
堂々とすることが出来たことを覚えています。


去年、あることで悩み、
立ち止まり、考えることがありました。
自分がどうしたいのか、決めるということに
臆病になっていた時。
ふと、卒業式のことを思い出して。

アルバムを引っ張り出して、
真っ白のスーツ姿の自分を眺めながら
思ったのです。


「12歳の私、カッコイイな」と。


誰に何を言われてもいい。
自分が着たいものを着る。
自分が一番ワクワクする服を、
誰の為でもなく、自分の為に着る。

そんな強い意思があったことを感じて。

大人になってからの私は、
周りからどう見られるのか
何を言われるのか
それが気になって、
「私は、どうしたいのか」
を見失うことが多かったな。


”自分が一番ワクワクすることを選ぶ”


私はいつからその選択を
怖がるようになってしまったんだろう?

12歳の私は、
こんなにもエネルギッシュだったのに!


”ある”ものを封印してないかな?


私はどうしたいのか、
考えるのはそれだけでいいんじゃない?


写真の中の12歳の私が、
35歳の私に問いかけてくる。

「もう一度この頃の自分に戻ろう!」

と思えた時、
むくむくとパワーが湧いてくるのを感じました。


過去の自分、子供の頃の自分から
背中を押されるとは!

そのことに驚きながらも、
もう一つ大切なことに気付きました。


真っ白のスーツで卒業式に出ることに
「いいよ」と許可してくれた母の存在。

もし、
娘が私が選んだスーツ姿で卒業式に出ると
言われたら、私は「いいよ」と言えるかな?
と。

「目立ちすぎない?」
「そんな格好で行く人居ないよ」
「他のにしなよ」

こんな言葉を言ってしまうかもしれない。

でも母は、
「これにする」と言い切った私の思いと共に
真っ白のスーツを買ってくれた。

スーツの裾が長かったのを、
裾上げまでしてくれた。

カッコよく着こなせるように、
準備してくれた。

母にだって、
母の想いがあったと思います。

周りから変な目で見られるかもしれない
からかわれるかもしれない
母の趣味だと思われるかもしれない
「よく良いって言ったね」と、
周りのお母さん達から言われるかもしれない

私だったら、あれこれ想像してしまうから。

それでも、
やりたいようにやらせてくれた。

当時は分からなかったけど…

「うちのお母さんすごい!」

って、今なら分かる。

なんて大きな愛に包まれ、見守られ、
晴れ舞台に送り出してくれたのだろうと。

これ書いてるうちに涙出てきちゃいますが…😭


親に対して、

「ありがとう」

もだけど、

「すごい!」

も気付かないだけで沢山ある。

気付くのに何十年も時間がかかることだって
あるかもしれないけれど、
気付けた時、
親の価値が上がる。


”親の価値が上がると、自分の価値も上がる”


チャイルドセラピスト講座で学んだ
フレーズを思い出しました😊


母が撮ってくれた写真。
どんな気持ちでシャッターを切ったのかな?







余談話…
最近、ショートカットにしましたが、
写真と見比べると
なんとなく当時の髪型に似てたかな〜と。
髪を切ってから母に会ったら、

「小学校ぶりじゃない?」

と言われました😂

『渡る世間は鬼ばかり』の時も
役で切ってたけど!

と突っ込みましたが、笑
あの頃の私の雰囲気を感じたのだとしたら…
12歳の私は微笑んでいると思います🍀