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ほぼ一年ぶりで万馬券当たりました。

 

 

2頭-4頭-6頭の14通り3連複フォーメーションで、1,2,4,5着買ってたのに3着抜けてました。

やっちまった、

まじでおしいな、

悔しいな、

と思ったら、ワイド100円だけ買ってました、当たってました。

3着馬が大穴だったので、今年初めての万馬券です。

めちゃくちゃうれしいです。

万馬券こそが競馬の醍醐味、万馬券とるために万馬券以上の負けを積み上げてるのは、この喜びのためです。

私が愛される理由は、今日もそうですが、万馬券とったのに一日トータルで安定のマイナス収支になっているところです。

 

なお、万馬券とった第7レースですが、もし3着と4着入れ替わってたら、3連複は当たりますが、配当金は小さくなっていました。

ほんの小さな掛け金でいいので、穴馬を加えておくのは大事ですね。

 

※ワイドでもそこそこ高配当でした。

 

この馬券、たまたまの思い付きとはいえワイドで買ってる馬なので、3連複40000円配当も取れなくもなかったので、買い方の研究を自分なりにしておくことにします。

悪天候(とくに強風雨)のときは幅を広げるべきだと改めて反省しました。

 

柳の木の下に2匹目のドジョウを探し求めて、天皇賞はマカヒキとメロディーレーンの単勝買いました。

例年とは違うトリッキーな阪神の3200メートルなので、天気も悪そうなので、何か起こるかもしれません。

 

もちろん、巣ごもり黄金週間は競馬三昧だから、東京湾カップも柏記念も買いますよ。

こちらは、たぶん荒れたりしないだろうけど。

強い気持ちで基本の3連複14点買いで勝負します。

 

 

【お気に入りアニメについて】

いま、「ドラゴン、家を買う。」にはまってます。

レティかわいいです、大好きです。

声優さんたちも作品と波長が合ってて、楽しいです。

スポンサー広告も自然ですよね。

 

名曲「ぼくらが旅に出る理由」をYouTubeで聞きました。

アニソン手当たり次第に聞いてたら右の小窓にでてきて、懐かしくてクリックしました。

カラオケにも行けないので、経験した旅について私なりにまぶしい記憶を整理してみます。

 

※私の愛馬のお兄ちゃん。

 

初めての海外旅行はパリです。

オランジュリー美術館とマルモッタン美術館

パレロワイヤルにあるコメディーフランセーズで演劇を観たり、世界遺産の聖堂でコンサート聞いたり、最高の贅沢は若いうちに経験しておくものなのかもしれませんね。

贅沢と言っても、この当時は酒にも詳しくなく、今と比べればかなりの円高でもあったので安上がりでしたね。

当たり前の話ですが、本場のフランス料理(リヨン、地中海、バスク、ブルターニュ、ノルマンディー、アルザス等々多種多様ですけど面倒なのでまとめます)が美味しくて、エンゲル係数は高くなりました。

今でも週一フレンチレストラン行きますが、このときに舌が出来上がってしまったのかもしれません。

今でも愛用していますが、ウオーターマンのペンと出会ったのもパリの街角でした。

 

一年後、フランス・ドイツ・オーストリアの大都市中心でしたが田舎町も含めて10か所ぐらいをを周遊しました。

バレー、オペラ、チェロ独奏会、いまでも美しい旋律が鳴り響きます。

正真正銘本物のシャトーに宿泊もしました。

ジベルニーやポントワースも最高でした。

何年か後の経験ですが、それほど強く記憶には残ってませんが、ベルサイユ宮殿でバロックコンサート聞きました。

ベルバラだとたけし軍団のくだらない不謹慎なパロディーのほうが鮮明に記憶というか楽し気な鼻歌に浮いてきますよ。

 

私は飛行機はエコノミー派(国際線のビジネスも一度経験してますけど笑)ですが、宿泊もホステルの大部屋で平気ですけど、ときどき、とびっきりの部屋にも宿泊したりします。

時空だけは一期一会なので、経済合理性なんか忘れてしまいます。

別荘買うより満足度は高いというか、比較の対象にすらなりません。

キャンピングカーならまだ理解できるけど、非住民への重い固定資産税とか払ってまで年に一度か二度のために別荘持つとか、合理性に欠く行為です。

どうしても資金が余って使いきれないなら、例えば、部屋ごとに露天風呂のある旅館に3か月泊まって工口小説でも書いてたほうが満足しますよね。

備えあっても憂いばかり、どうにもならないことはすっぱり諦めて、できる努力だけを合理的にこだわってやり抜きたいと思います。

口をひらけば文句ばかりという人生はまっぴらごめんです。

コロナだから仕方なく選んでる自転車通勤だって鳥の鳴き声がきこえて楽しいですからね。

 

城、かつてのフランス貴族の邸宅は、広くて、いい匂いでした。

私のイマジネーションでは、これ以上のいい部屋というのは存在しません。

そういえば、「眺めのいい部屋」という名作がありましたね。

たぶんもう行くことはないだろうから、ユッセ城やシュノンソー城も見ておいてよかったなと思います。

あまり有名なお城ではないけど、シャトーランジェ(「ランジェ城」10世紀の城郭らしいです)は思い出深いです。

ランジェは小さな町でしたが、たまたま私が入ったところは指折りのおいしいレストランで、食後のチーズが最高でした。

 

ギリシアは、たぶん中学生のころ「ソクラテスの弁明」を読んだことがその引き金ですが、ビザンチン帝国の歴史、古代ポリスの哲学者たち所縁の地、シュリーマンの古代への情熱、その男ゾルバ、と波状攻撃のようにエーゲ海へと誘われました。

ミノルタのαズームを購入して、プラトンの「国家」とホメロスの「イリーアス」を鞄に詰め込んで旅立った日の青空を覚えています。

トルコも行きたかったのですが、休暇の日数が足りず諦めましたが、ロードス島で水平線越しに大陸の姿を、あれがトロイかと感激して眺めました。

この当時は高給取り(カード限度額もミリオン)だったので、もう一度したいわけでもないんだけど、思う存分散財しました。

エシェゾー1990特級に出会ってしまったのはこのときです。

以来ほぼ毎年2本ぐらいのペースで飲んでますね、もちろんヴィンテージは違いますけど。

’90は素晴らしいですね。

アテネ直行便はなかったので、エールフランスでパリ経由で行きました。

中継地のパリは寒かったのでYSL(リブゴーシュの旗艦店)のコートを着て帰ってきて、成田空港の税関でフランスは寒かったですかとか嫌味いわれましたからね。

着ていくところもないけど、というより年取ってユニクロの極暖でないと過ごせない体になってしまったからまったく着ないけど、クローゼットにかかっているだけで気持ちがあがります、何年たっても、むしろ熱が増します。

 

アメリカ、スペイン、オランダ、と思い出はあるのですが、割愛して、イスラエルとヨルダンに行ったことを記したいと考えましたが、遠藤周作のことを記事にしたときに何度もコメントしてますので、これも割愛です。

空気の乾燥した街の明かりの全くない砂漠の満天の夜空はプラネタリウムでは味わえない星降る夜です、すっごいです。

死海のほとりのユースホステルで知り合ったフランス人とレンタカー借りてヨルダンの砂漠のど真ん中の丘を越えて真っ暗闇を冒険しました。

なお、この旅から帰国して病気(発熱と全身に吹き出物)になりました。

たぶん疲労が原因ですが、生水飲んだりもしたのでそれもよくなかったんだと思います。

イタリアはその3年後で、カナダがさらに11年後(今から8年前)ですね。

ローマすっごく楽しかったな、思い出します。

 

アフリカサバンナとゴリラの住むジャングルは風土病で死んでもいいから行ってみたのだけど、野生動物をみるなら動物園でもいいかなと思います。

ただ、もし機会があればエコなサファリツアーに参加するのはできたらいいな、でも、できなくたって泣かないもん、ぐらいです。

それよりも、競走馬が動物園の猛獣のえさになってしまうのは、生命の循環なのでいたしかたないのですが、やっぱり悲しいです。

 

国内では沖縄か奄美でザトウクジラの子育てをウオッチしてみたいというのが生涯最後の願いです。

これだけはもし行けなかったら死に際に涙を流す可能性があります。

初夏の知床もサイクリングあるいはハイキングしてみた気持ちはありますけど、これもなにがなんでもということはありません。

多分叶いますけど、もし叶わなかったとしても後悔はありません。

あまりにも満ち足りているのでもう何も望まないのかもしれません。

私はどんなにしんどくても、運が悪いと感じても、それ以上に幸せだと思います。

 

京都は何度も何度も行ってますが、まだ何度でも行きたいと思います。

福井永平寺と和歌山高野山は、思い立ってから20年ぐらいしてやっと訪問しました。

曹洞宗の座禅教室に通っていたので、永平寺は恋焦がれていました。

永平寺は、冬の訪問を強く希望していたのですが、大阪出張の機会があり、たまたま大雪で建物が壊れるほどの年に参拝しました。

再建基金にわずか一口ですが寄付できたのは幸運でした。

真言宗の托鉢も好きで、最寄り駅のロータリーでときどきお坊さんが托鉢してますが、ほんの気持ちを布施すると一期一会(別離も含めて)が記憶に結びつくものです、「南無大師遍照金剛」、ありがたいことです。

父の戒名の高額のお布施なんかありがたいとも思わなかったくせに、わずかな気持ちを込めたお布施は気持ちがいいものです。

嵯峨野の大覚寺はいいところですよね、写経体験もしました。

 

座禅や仏教の話をカナダの友人にしたら興味持ってました。

最近仕事で英語使わないし、巣ごもりで読み書きしてないから言いたいことが英語で口をついて出てこなくなりました。

そもそも話したいことが何もないのかもしれません。

日本語だけで生活しているのは将来がなんとなく暗いので、プロテスタントの教会にでも、エルサレムの思い出を語りに通ってみようかと思います。

 

なんだか、とっちらかった記事の更新になってしまいましたが、そのままGoToとらぶる!

 

 

旅して楽しいのは、文化も言語も生い立ちも異なる人たちと同じ時間と場所(ホステルなら同じ部屋だったりします)で話が出ることです。

地中海で特に感じます。

※イタリア、ギリシア、イスラエル、ヨルダン

 

<歴史や言語を肌で知りたいと思うことについての一例>

新約聖書はヘブル語やアラム語ではなく、なぜギリシャ語で書かれているのですか。

イエス様が話された言葉はアラム語で、弟子たちはおもにヘブル語でしたので、「なぜギリシャ語?」というご質問は大変興味深いものです。

新約聖書がおもに弟子たちにより書かれたのは紀元50年から紀元120年とされていますが当時の聖書の世界を考察する必要があります。 

すなわち、舞台背景はギリシャ・ペルシャ時代からローマ帝国へと転換していましたが、文化的には、それ以前におけるマケドニアのアレキサンダー大王による東方遠征の影響を受け、広大なヘレニズムの世界が展開されており、ギリシャ文化とペルシャ文化の融合が進む時代でもありました。ローマ帝国の言語はもともとラテン語でしたが、多くの地域においてはラテン語よりもギリシャ語が公用語あるいはlingua franca(リンガ・フランカ--言語を異にする人々の間で共通的に使用される外国語)としての地位を保っていました。またユダヤ人自身もこの世界に拡散し、ギリシャ語しか解せないユダヤ人もいましたし、ヘブライ語を読めないヘレニズムの世界(ギリシャ語圏)の在外ユダヤ人のため旧約聖書(ユダヤ教聖典)のギリシア語訳聖書、いわゆる七十人訳聖書((Septuaginta--セプトゥアジンタ)も紀元前3世紀中葉から前1世紀の間に成立していました。

弟子たちは聖書の教えがひとりユダヤ世界だけに閉じ込められることなく、より広い地域で読まれ、確かに後世に伝えるためにギリシャ語を選んだものと思われます。すなわち、現代では学術論文やグローバルな資料が英語で著されるようなものと考えてよろしいでしょう。なお、聖書に使用されるギリシャ語はKoine Greek(コイネーギリシャ語)といい現代ギリシャ語の基礎となっています。コイネーとは「共通の」という意味です。

<以上>

 

 

 

来週はいよいよ柏記念G1です。

船橋競馬場は無観客でしょうから、ネットで馬券買います。

来年こそはワクチン打って柏記念みにいきます。

私にとって、中山の皐月賞やセントライト記念と同じぐらい思い入れの強いレースです。

 

遠藤周作の「白い人」を読み返しました。

これが何度目か覚えてませんが、信仰と拷問に焦点をしぼった悪魔的傑作です。

救済を願うとき、「カラマーゾフの兄弟」あるいは「選ばれし人」とともに想いが巡る作品です。

灰色の小さな脳細胞が活動をはじめました。

 

 

さて、コロナでなければ間違いなく参加していたであろうワインの試飲イベントがありました。

話題作りにいかがですか?と勧められたのですが、外出先でマスク外したくなかったので断りました。

 

ラフィット・ロートシルト、その名を聞くだけで興奮しますけど、そのヴィンテージに驚愕しました。

(かなり前ですが「ラフィット」は同志で共同購入して楽しんだことがあります。)

1914年は、第一次世界大戦がはじまった年ですね。

100年以上前のワインなんて飲んだことないし、たぶん飲まないで生涯を終えると思いますが、そのオポチュニティーがあったというだけででも感慨深いなと思います。

たぶん、20年以上のワインは味も香りもフィーチャード(際立つ)しなくなると思います。

でも、これほど長期保存が可能で、特筆すべきファクトですが、「毒にならない」アルコール発酵の偉大な力です。

ちなみに熱帯雨林のジャングルで生水飲んだら2週間下痢がとまらなかった経験があります。

これも野生の偉大さ強大さであります。

細菌やウイルス感染症(昨年人ヘルペスで強烈な神経痛がありました)に罹患すると病も自然なことと感じます。

 

最近の私はほとんどの失敗にたいしてあまり強く後悔の念を感じない(後悔もひっくるめて面白いが正しいかな?)のですが、名残惜しい機会でしたね。

でも、このイベントを断ってよかったなと思える理由がひとつあります。

それは、デパートなんかでよくあるプラスチックのカップで提供(エコじゃないのでせめて紙カップにしてほしい)していました。

私は料金余計に払ってもガラスのワイングラス、それもできればハンドメイドですね、で味わいたいのです。

 

私はコロナ前から自宅飲みがほとんどですが、リーデルかバカラのハンドメイドのブドウ品種ごとのグラスをいくつか揃えています。

白ワインはシャルドネが好きですが、モッツァレラチーズのカプレーゼがいいと思います。

赤はピノノワールが多いというか、90%近いのではないかと思います。

今年もエシェゾー(特級畑)を3本飲んでます。

残りは3本ですから、松山選手のマスターズ優勝を祝してひとり味わいたいと思います。

ワインの後にはコニャックです。

私はかれこれ20年以上ダニエル・ブージュ一筋です。

※別カテゴリーですがマールはブルゴーニュやアルザスやローヌのものも楽しみました。

「マール」も同じブドウの蒸留酒ですが、「フィーヌ」のコニャックとは別物と考えています。

 

余談ついでに、まあコロナでしかたないのですが、タリーズコーヒーが店内でも紙カップでの提供になってしまったことはショックです。

外出先で味わえる数少ないコーヒーの最高峰のひとつがタリーズのダブルエスプレッソでしたから、そのひとつがなくなってしまいました。

諸行無常です。

まさに苦痛、それも激痛です。

私にとって、紙カップならコンビニの100円コーヒー(これはこれですばらしいコスパです)との違いがわかりません。

私はビアレッティのコーヒーメーカーで自宅のガス台でエスプレッソを味わう、まあ面倒でうるさいこだわりすぎの消費者なのですが、だからといって、日本の平均的な所得しかないので、費用対効果も重視します。

楽しくなければ選ばないので、必ずしもコスパを重視しないのですが、コスパなら、車はレンタカー派です。

 

ビールって、税率も高いけど、コスパ最高ですよね。

ドイツ人やチェコ人をリスペクトしますけど、ビール純粋法のフィロソフィーにシンパシー覚えます。

岩手のベアレン醸造所のクラシックは最高で、私は「くまさんビール」と呼んで飲むたびに手帳に記録してまして、LINEの友達(もちろん商売上の営利宣伝活動における「友達」です!)登録しているほどのファンです。

近所のスーパーで売ってるんですけど、継続的に扱ってほしいので、ちょこちょこ、最低でも週一、買っています。

最近ようやくわかったのですが、私は本当に心の底から酒と競馬を愛しているようです。

 

コーヒーの話題に戻ります、結局、あこがれのトリエステのイリーの豆をハンドミルで挽いて自宅で味わうのが一番になってしまい、ますます巣ごもりに拍車がかかります。

※トリエステは、ウイーンから夜行列車でヴェニスへ向かう途中の停車駅でしたが、今思えば一歩でも降りておけばよかったなと思います、というか、もう一度イタリア行きたいですね、スロベニア国境やシチリア、サルデニア、カラブリア、リグーリアには是非行きたい。

最近いってないのですが、ブルーボトルコーヒーはどうなってるんでしょうね、持ち帰りが紙カップなのはしかたないのですが、店内だけは、あるいは、高額のシングルオリジンだけでも、陶器のデミタスカップで飲みたいものです。

 

 

いいことがありました。

公園で散歩中ラブラドールレトリーバー、茶ラブちゃんですよぉ、さわらせてもらいました。

しゃがんだら近寄ってきてくれたので喉をなでなでしました。

かわいいですねぇ。

 

※これはイメージ画像です。

 

老後は保護犬と暮らしたいと希望していますが、この夢は叶わなくても後悔しません。

犬は年とともに愛しさが無限に増大します。

ただし、犬を飼うことはその責任重大ですから、難関です。

もちろんメリットとかデメリットの問題でなく、無条件に幸せが約束されます。

そう、信仰の問題です。

夢は叶った、すべてが、何度も、幾千万も、何もいらない、むしろこれ以上があってはならない、息をのむほどやわらかな青い光は慈しみのハートビートを永劫に響かせつつ。

 

点と点をつなげるのではない、後から振り返ってみると結果的に、自然とつながるもの。

10年後なんか予測できない。

ウソ無く好きなことに熱中しよう。

好きなことがみつからないなら、手あたり次第手を出そう。

失敗したら修正すればいい、どんなに準備したってどうせ失敗はする、それより、失敗してもやり抜くメンタルを鍛えるためにもチャレンジあるのみ。

なんとかなるからトライしよう。

 

計画で最悪なのは、修正するつもりのない(できない)計画です。

とにかくなんでもいいから計画して、実行し、試行錯誤の結果から修正しまた実行。

私の今年の競馬の予算は20万円だったのですが、負けが込んできたので36万円に引き上げました。

すると手広く買えるので観戦そのものが余計に面白いです。

なにかを削るのですが、コロナのおかげで巣ごもり自粛だから無理なく外食費を削ってきたので、競馬で発散してもおつりがくる計算です。

でも、いろいろ計画は狂いました。

それもまた楽しいことです。

 

どんなに注意しても貰い事故(とばっちり)は避けられないもの人生です。

私は小さな幸せをありがたいと感じることができるので、不幸だというひとの気持ちが理解できません。

他人のあらさがし、うらみつらみ、やつあたり、いいがかり、くどくどと責任追及、何が楽しいのか理解できないけど、迷惑です。

恩着せがましいのはうっとうしくて重荷でしかありません。

忘却の力などのアンガーマネジメントができないのも自業自得です。

セロトニン受容体の数とか遺伝的要素も大きいようですが、経験や訓練など後天的な獲得要因も非常に大きいので、瞋恚を収めるには瞑想が効果的です。

ときに寛容であると損するけど、損できるぐらい幸運なんだと思えば気持ちの切り替えは容易です。

ものは考えよう、事実をどうとらえるか、意味を与え消化するのはほかの誰でもなく私自身です、自分の気持ちは自分で自由に決めることができます。

※脳はエネルギー節約のためにかなり自動化するようにできていて、選択は自由意志ではないとも言われていますが、その習慣を許すのも自分自身なので、やはり他人のせいではありません。

 

 

年に一度でも、万馬券あたれば、その裏にある膨大な外れ馬券のことなんか忘れてしまいます。

50年を振り返ると、幸せだった12年間があるから気持ちよく生きていけるのかもしれません。

一神教とはたぶん異なる空の視点から救済をみつめています。

もがき苦しむのも避けられないのですが、そのすぐ足元(「the flip side」)に青い鳥はいるのです。

オブセッション(強迫観念)あるいは猛烈な執着(我執)をひととき忘れて一瞬の快楽にゆだねてしまいましょう。