エリカ様が麻薬で逮捕されました。
ショックでした。
薬物依存について、あくまでも私見ですが、連想されるあれこれについてとりとめもなく書き散らします。
薬物依存は病気なので、専門の医療機関で治療して、今日一日を薬物なしですごすことの繰り返しで、脳の回路が変形してしまっているので、壮絶な治療なんだそうです。
治療により一般的な日常生活が送れる状態になっても、たった一回ですべて台無し、生涯にわたるリハビリを、「日常生活」という高いハードルを超える日々を想像できるでしょうか?
※超えたところでそれがあたりまえという世間の厳しさ。
キヨマーも時間をかけて、まわりもあせってひっぱりださないで、二度と逮捕なんてことにならないことを願います。
失敗するたび何度でも、刑罰を受けて治療すればいいと思いますが、再犯率の高さを想えば、刑務所は転落の悪循環を製造する仕掛なのかもしれません。
日本の司法行政は構造的欠陥をかかえているように思われます。
違法薬物に無縁な人がほとんどです。
※麻薬と覚醒剤の厳密な違いは知らないけど、違法薬物も、麻酔や鎮痛剤としての効果は大きいから、毒か特効薬かはかみひとえです。
一方で薬物による社会的悪影響は計り知れません。
ほんの小さな判断ミスやわずかな不運(それも含めて判断ミス)が躓きの一歩です。
わずかな違いも数多くの試行回数によって、圧倒的な格差になります。
余談ですが、情報統計学が非常に重要なナレッジスキルになるのでしょうね。
依存症厚生サークルは、人聞きですが、依存を認めることからスタートするそうです。
「自分は自分、人は人」と自己責任を大原則に、いつでも何度でも転んだ仲間を受け入れる姿勢は、これこそがセーフティーネットなのでしょうね。
懐が深いと感じます。
私は冷酷なので、転落するのがわかっていたら、巻き込まれないように安全な距離を保つタイプですから、依存症と感じたらそもそもつきあいはやめます。
でも、人助けをしたいなら、自分が自律的でサスティナブルな基盤を有していなければ、共に転落する運命だと思います。
したがって、君子の交わりは淡きこと水のごとしを実践しています。
転落と救済は、遠藤周作の「沈黙」のテーマです。
※スコセッシが映画化しています。
どの宗派であれ、宗教の根っこの構造部分には、理不尽や絶望、そして「救済」に対する渇望があると思います。
私は歎異抄をくりかえし読んでいますが、R18文学や時代小説と同じく身体の奥が熱くなるのを感じます。
それが薬物による興奮と何が違うのかはわかりません。
自然治癒力はパワフルで、弱肉強食であり深い共生関係にあるサークルオブライフに抱かれて畏れ敬う気持ちは心地いいと感じるのです。
