ときどきですが、知的好奇心を刺激する「驚き」に出会うことがあります。
それは感動となり、その後の行動に結びつきます。
私にとって驚きとは、どきどきの楽しい経験であることが多いように思います。
「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」を読んで感じたことを交えて思考を整理しました。
とりとめなく雑なまとめですが、現時点での認知を幅広く収集し、正確性よりも現象あるいは信号を記録していきます。
※つまり「自分の心が動いた」ことについてのメモです。
※世の中が動いたときについては、近いうちに米中貿易戦争について書きたいと思います。
まずは知的好奇心を刺激された「驚き」についていくつか事例をあげます。
例えば、チンパンジーの握力が300kgぐらいあるとか、「くじら」と「かば」が偶蹄目の遠縁(生物学的には比較的近縁)にあたるとか、蝙蝠と馬が同一グループ(ローラシア獣上目)だとか。
古代から中世の地中海世界の共通言語はギリシア語だったとか。
実験、遺伝子解析、歴史的な成り立ち、調べれば事実なのですが、初めて知ったときは驚きました。
チンパンジーは本格的な狩りもするし、SASUKEよりももっとすごい運動能力でジャングルを移動するし、自分の運動音痴からは想像できない、素晴らしい生き物です。
※「ワイルドライフ(シリーズダイナスティ)」のセネガルの森の王デヴィッドの記録はものすごい。群れのクーデターでリンチにあって瀕死の怪我からアルファに返り咲くのです。
なんで新約聖書が成立時ギリシア語で書かれたのか、ローマ法大全の一部がギリシア語なのか、クレオパトラはギリシア人の末裔だとか、新鮮な驚きから知りたいという気持ちが涌きました。
ビザンツ帝国の滅亡がグレコ・ローマンの書籍と知識人の流入によりイタリアでルネサンスや大航海が加速したのは歴史的大事件ですね。どさくさ(十字軍かな)でベニスのサンマルコに黄金の祭壇がたぶん強奪されてやってきました。
複式簿記もこの時代のイタリアにはじまり、イギリスで監査制度が近代化することにより現代式の株式公開制度が成立し、資本主義の隆盛の屋台骨を支えることになりました。
※新約聖書については遠藤周作「キリストの誕生」、7世紀のローマ法大全はギボン「ローマ帝国衰亡史」およびBSTBS放送の「ビザンチン帝国」、会計は私の専門で生業です。
歴史的事実や科学的観察結果について、驚きと疑問と知らないことに対する喜びが大きなモチベーションとなります。
初体験をどう感じるか、満足度や覚悟の面でも変わってくるように感じます。
論理的で体系的な知識は商売でも役立ちます。
人格の完全とは、
毎日を最後の日のように過ごし、
激することなく、無気力にもならず、 偽善をしないこと。
(マルクス・アウレリウス)
ひとくちにざっくり地中海世界といっても時代や地域(東方と西方)によって濃淡の違いはあるが、細かいことは無視します。
当時の人たちも数か国語話せる人はたくさんいたでしょうから。
ラテン語よりもエジプト語よりもペルシア語よりもヘブライ語よりも、ギリシア語が影響力のあるデファクトを築いたようです。
たぶんヘレニズム時代(アレキサンダー大王以降のギリシア&ペルシア融合)の影響でしょう、あくまでも比較優位です。
ちなみに、現在の世界では、特にビジネスや日常のコミュニケーションは英語が世界標準(デファクトスタンダード)です。
私の経験では、
ドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダ、ギリシア、ハンガリー、イスラエル、ヨルダンはほぼ100%
フランスは95%、イタリアは90%、スペインで80%
は英語が通じました。
まあ、特にヨーロッパの人は母国語の他に2、3か国語しゃべるのが普通のことなので、英語は自然に身につくのでしょう。
また、ポルトガル語とスペイン語なんかも方言程度の違いしかないから、南米ブラジル人とペルー人の間で自然に会話が成立します。
当時はポルトガル語とスペイン語は別物と認識してたので、そのときの光景にも驚きました。
今も大差ありませんが、無知でしたね。
無知であるがゆえに、出会いもたくさんありました。
ナポリでカメラ盗まれたときは、驚きました。
肩からぶら下げてたのですが、大混雑のバスでベルト外されて盗まれました。
駅前で降りたらベルトだけ残っていてびっくりでした。
笑っちゃいましたね。
悔しいとか、困っとか、そういう感覚はなかったかな。
泥棒が多くて有名なナポリではタクシー乗ったほうがいいですよ、実は一番安上がりです。
ところで驚きと危険の境界線はどこなんでしょうね。
まぁ、いっか、こまかいことにくよくよしない主義です。
世の中には知らないことがあふれているって、楽しいことでもあります。
好奇心を刺激し、もっと知りたいと思い、調べよう、実験しよう!となるわけです。
「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」によれば、
無知の自覚が科学革命そして産業革命の切っ掛けとなり、
空白の地図を持って大西洋を渡り、経済成長という神話を世界中に流布した
とのことです。
現在のところ勝ち抜いた、自由主義(かつ資本主義)的ヒューマニズムという共同主観的現実がIoTロボティクスと遺伝子生命工学により選別の時代が来る可能性があるという予測(預言ではなくもし気に入らないなら意識を変える行動をとるための「予測」という意味?)が、次の時代に歴史と生物学の統合の中でこの世界に意味を与えているフィクションを読み解かなければならないと主張しています。
概ね同様の認識です。
なお反論ですが、全知全能や不老不死なんかは当面は不可能だと思います。
というか、実は本書を読んで、絶対不可能と言い切れないなと想像しはじめましたが、少なくとも私が生きてる間はないだろうと。
まあ、そういうことを著者のハラリ氏は言っているのではないし、人類が向かう方向性について論理的に繰り返し説明する中でいくつか素直にうけとめられない論点があるなと思っただけです。
いいがかり、重箱つつきですね。笑
私の解釈は、光を当てる角度がかなりギャンブラー目線ですが、とにかく面白い本です。
じっくり読んで充足感があります。
無知の自覚について哲学的に追求したのはプラトンで、アテネからアレキサンドリアそしてコンスタンチノープルと写本が受け継がれ科学革命により誕生した近代的大学へと受け継がれたのですね。
これもDNAの転写のように繰り返し、時に変化しながら受け継がれてきたのです。
「汝自身を知れ」 ”Know thyself.”
ソクラテスが信託を授かったデルフォイのアポロン神殿はエディプス運命の三差路で有名です。
デュオニソス習合的トランス、すなわち巫女のような旅人との出会いが若い私を強く刺激したものです。
世界は知らないことだらけ、だから知りたい、驚くことって素敵なことかもしれません。
過去の記事で、関連するもの「真に自律的であるために」があります。
https://ameblo.jp/nishicapi/entry-12116023755.html
リンクしときます。
【追記】新約聖書がギリシア語で書かれた経緯について端的にまとまった文章を掲載します。
『新約聖書はヘブル語やアラム語ではなく、なぜギリシャ語で書かれているのですか。』
イエス様が話された言葉はアラム語で、弟子たちはおもにヘブル語でしたので、「なぜギリシャ語?」というご質問は大変興味深いものです。
新約聖書がおもに弟子たちにより書かれたのは紀元50年から紀元120年とされていますが当時の聖書の世界を考察する必要があります。
すなわち、舞台背景はギリシャ・ペルシャ時代からローマ帝国へと転換していましたが、文化的には、それ以前におけるマケドニアのアレキサンダー大王による東方遠征の影響を受け、広大なヘレニズムの世界が展開されており、ギリシャ文化とペルシャ文化の融合が進む時代でもありました。ローマ帝国の言語はもともとラテン語でしたが、多くの地域においてはラテン語よりもギリシャ語が公用語あるいはlingua franca(リンガ・フランカ--言語を異にする人々の間で共通的に使用される外国語)としての地位を保っていました。またユダヤ人自身もこの世界に拡散し、ギリシャ語しか解せないユダヤ人もいましたし、ヘブライ語を読めないヘレニズムの世界(ギリシャ語圏)の在外ユダヤ人のため旧約聖書(ユダヤ教聖典)のギリシア語訳聖書、いわゆる七十人訳聖書((Septuaginta--セプトゥアジンタ)も紀元前3世紀中葉から前1世紀の間に成立していました。
弟子たちは聖書の教えがひとりユダヤ世界だけに閉じ込められることなく、より広い地域で読まれ、確かに後世に伝えるためにギリシャ語を選んだものと思われます。すなわち、現代では学術論文やグローバルな資料が英語で著されるようなものと考えてよろしいでしょう。なお、聖書に使用されるギリシャ語はKoine Greek(コイネーギリシャ語)といい現代ギリシャ語の基礎となっています。コイネーとは「共通の」という意味です。
【以上】
