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こんにちは!西口吉宏です。

 

私の人生ストーリー50話完結編(その4)は、高2の春にショッキングな出来事についてです。

 

 

 

 

高校1年の3学期のある土曜日、サッカー部の練習が終わる頃、

陸上部が50メートル走のタイムを計測していた。

 

陸上部の先生が私の顔を見て、「西口もタイム計るか?」と聞いて来た。

 

すかさず「ハイ」と答えると、陸上部の先輩が一緒に走ってくれた。

 

タイムは何と5.8秒。

 

陸上部の先生は、早速私を陸上部へ勧誘して来た。

 

「西口!陸上部にこーへんか?」

 

私は、「サッカーの方が面白いし」と即答。

 

元々、部員数も少なく足も速いので、当時、私はレギュラーとして試合に出させてもらっていた。

 

ポジションはセンターフォワード。(点を取るポジション)

 

おかげまで、京都選抜の選考会にも推薦してもらって、

当時、高3の柱谷(兄)さんと一緒に練習させてもらったことも、大きな自信になっていた。

 

そして、高校2年生の春、17歳になった私は夢と希望に燃えていた。

 

 

 

今から考えてもショッキングな出来事は、春の総体の大会の試合中に起こった。

 

私がボールをキープして味方にパスを出そうと右足を振り上げた瞬間、激痛が左足を襲った。

 

まさに目から火花が出た感じだった。

 

相手の選手が、私の左足の膝を狙って後から蹴ったのだ。

 

私はうずくまり、激しい痛みにもがいていた。

 

今であれば、一発退場の反則でレッドカード。

 

私は、立ち上がることもできず、チームの仲間がベンチまで担いでくれた。

 

 

 

その日は何とか足を引きずり帰ったのだが、それ以降左足に力を入れると

 

膝の関節がはずれて痛みが走る。

 

左膝十字靭帯断裂!

 

それ以来、私は大好きだったサッカーはできなくなった。

 

今でこそ、専門医がいて手術をして復帰することもできたのに、

 

当時はそんな専門医も見つからず、湿布をあてて様子を見ることぐらいしかできなかった。

 

 

 

夢中になっていたことができなくなって、どうしていたんだろうか?

 

 

 

数ヶ月後、何とか普通に歩けるようになって、土日は近くのレストランでアルバイトをするようになった。

 

宇治川ラインの天ヶ瀬ダムにあったレストランまで、原付きカブで通った。

 

レストランでは皆さんに可愛がってもらい、食事会に行ったりそれなりに楽しい時間を過ごせた。

 

 

当時、楽しみといえば彼女とのデート。

 

今度のクリスマスにデートする約束を楽しみにしていた矢先に決定的な出来事が起こった。

 

 

11月3日(祝)にそれは起こった。

 

いつものように祝日だったのでレストランへ原付きカブでアルバイトに行った。

 

仕事が終わって、帰り際に料理長と店長に挨拶をしに行ったけど、

いつもいる場所にいなかった・・・・・

 

今から思えば、”虫の知らせ”だったのか、待っていればよかったのにそのままカブに乗って帰路についた。

 

 

走り出して5分後くらいに、対向車線をはみ出した車と正面衝突の大事故!

 

 

「あっ!当たる!」

 

と思った瞬間、はねられて空中を飛び宇治川ラインの崖の方に転がり落ちたのだ。

 

地面に落ちたショックで、私の頭のなかで、走馬灯のように今までの出来事が、

 

映画のように何度も映像が流れた。

 

「これは夢かな?」

 

私はほっぺをつねってみた。

 

「痛い!」

 

「あ~これは夢じゃない」

 

「クリスマスのデートに行けない・・・」

 

 

左足を触ると動いた、右足はぐにゅっとなって足先が動かない。

 

右大腿部骨折!

 

それから3ヶ月入院し、病院から学校へ通った。

 

 

もし、落ちた場所が反対の道路に落ちていれば、頭から落ちていたので死んでいたかもしれない。

 

 

 

 

しばらくしてから、私は「神様から生かされているんだ」と思うようになった。

 

17歳の時にこんな大きな挫折を味わっていて、そこから立ち直って来たんだ。

 

17歳の時に、最初の人生リボーンをしていたんだった。

 

 

 

 

 

【今日の質問】

「あなたの人生で大きな挫折はどんなことですか?」

「その挫折からどのようにして立ち直りましたか?」

 

あなたの答えをコメントいただけると嬉しいです。\(^o^)/

 

 

続く