Sivas Atatürk Kongre Müzesi
Sivas kongre binası スィワス コングレ ビナース
と地元の人は呼んでいますが
1919年9月2日から12月18日まで、ムスタファケマルアタトュルクと代表委員会によって「国家闘争本部」として使用された歴史的な場所であります。
(元は高校今は博物館)
この建物は、1892年10月5日にスィワス知事マズルムパシャザードメフメットメムドゥベイ知事によって市民高校として建てられました。トルコ建国の父ムスタファ ケマル アタトゥルクがスィワス高校という名前に命名したとのことです。
オスマン帝国後期の建築の美しい石造りの建物です
目の前はÇifte minare チフテミナーレやBuruciye Medresesiブルジイェ メドレセスィがあります
入り口の階段をあがっていくと
重厚な木の扉がお出迎え
その年の高校生はこの学校も含めて全土
この年齢の高校生はみな戦死して亡くなってしまったと。。。その年齢の若者ゼロって
その説明を読んだ時になんかその当時を想像してなのかなんか急にせつなく?悲しくなり涙💧が出てきました(今も考えるとウルウルします)
命を賭して国を守ったのですね。。。
İrade-i milliye gazetesi イラーデイ ミッリィイェ ガゼテスィという新聞社の印刷機が展示されていました
これで戦況の報告とか印刷してたのかな
階段の手すりもなかなか凝った木の細工が施されています
そしてここが歴史的な会議をした会議室
1919年9月4日 トルコ共和国の建国決定がくだされた会議です
椅子それぞれに座った方の名前が添付されてます
こちらが議長側↓
ここはアタトゥルクの寝室
当時のままだそう
女性戦士たち
方々から攻めいられて分断されるところだったトルコの領土を男性も女性も戦って守ったんですね
トルコ建国記念日にはよく詩の朗読があり
当時誰がどんな活躍をしたとか暗唱するのですが
女性も結構色々頑張った様子を聞きます
これアタトゥルクの生声
決起するべく鋭く荒々しく喋ってます
これはスィワス駅ですね
歴史の中で最初の貨車と機関車の製造工場と修理工場であるTÜDEMSAŞ(Türkiye Demiryolu Makinaları Sanayii A.Ş.)は、1939年にSivasに設立されました。TÜDEMSAŞが設立されたとき、それは世界で最も先進的な施設の1つだったそう。
今もなお世界の様々な地域から注文を受けて輸出をしているとのことです。
おぉ~すごいじゃん!Sivas!!
あの時国を守れなかったら今のトルコ🇹🇷は存在してない(か、もっと小さい)
国を守ったというトルコ国民すべてが持っている誇りと自尊心を形で見ることのできる博物館です。
私達が出る頃、観光バスが来て大勢の人達が見学に訪れていました。
島国日本生まれのジャパン人の私には
国を守るために戦った❗とかもうそれだけで
ウルウルしてしまうものです。