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永劫回帰

価値なき存在

 
 
 
 
すっかり雨も上がり雲の切れ間に青空も見えてきました。運河沿いを「旧日本郵船株式会社小樽支店」へ、博物館の受付の女性に貰った「ざっくりmap」と駅でゲットした観光地図を頼りに向かいます。丁寧にマジックペンで順路まで描いて頂きましたが、わたしは地図を上手く見る事が出来ないという遭難必至の致命的な欠陥人間でして•••😂 スマホの経路案内(使っても迷うのはお約束w)を使えよとお思いでしょうが、函館で使用して著しくギガを消費してしまい、もう虫の息という惨状www Wi-Fiのない環境では常に機内モードで乗り切っておりました( ̄▽ ̄;) ハハハ… その上先を急ぐと言いながら、ちょっと歩くと歴史的建造物があり足を止めてしまいます。
 
 

 

「旧大家倉庫」明治24年築。越屋根と2重アーチが良いですね。妻壁の屋号は倉庫を建てた海産物問屋 大屋七平の名前に因んでいます。

 

 

 

少し歩くと、これまた味わい深い建物です。会社なのかな?

 

 

 

こちらは現役の倉庫。

 

 

 

中は工場?の様でした。

 

 

 

「旧北海製罐小樽工場第3倉庫」小樽運河完成の翌年大正13年建築。

 

 

 

ここにも石造りの建物が。と中々先へ進めません😅

 

 

 

「旧渋澤倉庫」明治25年頃から大正期に掛けて建築され、現在はライブハウスとカフェとなっています。大正元年に倉庫の裏手の道路付近に旅客専用の手宮駅が作られ、昭和18年に旅客取扱いが中止となり廃止されるまで存在していました。今は線路跡にプレートがあるだけです。

 

 

 

右の倉庫が明治25年頃に建てられ、その後左棟を並べて建築し、次いで中央に屋根を架けて完成した模様。ニシン漁で財を成した実業家・遠藤又兵衛が建てた倉庫を、一万円札の渋沢栄一の創業した渋澤倉庫㈱が大正期に入手した様です。つまり「旧遠藤又兵衛倉庫」と称するのが正確なのかしらん。

 

 

 

運河クルーズの船が運河の突き当りで転回する様です。

 

 

この後、運河から外れると少し迷ってしまい😅 行ったり来たりw

 

 

 

此処も現役の倉庫かな。お酒のディスカウントストア?

 

 

 

運河公園にある「旧日本石油㈱倉庫」大正9年築。平成6年に新しい石材で改修。

 

 

 

中は無料の休憩所になっていました。

 

 

 

小樽支店の隣にある「旧日本郵船㈱小樽支店残荷倉庫」明治39年築。残荷って何だろう?配達出来なかった荷物?

 

 

 

やっと到着しました。「旧日本郵船株式会社小樽支店」です。明治39年築で国指定重要文化財になっています。石造り2階建てのルネサンス様式建築で美しい佇まいですね。

 

 

 

重厚な造りの玄関ポーチ。

 

 

 

建物右手にあるのは搬入口でしょうか。

 

 

 

営業室は当時の写真から再現したそうです。

 

 

 

金庫室は現金よりも機密性の高い文書等を保管していました。

 

 

 

窓の取手がお洒落です。

 

 

 

この緑の線は何だろう?警報装置?

 

 

 

1階の応接室。

 

 

 

大階段の奥にある出入り口とトイレへの通路。年代物の壁の鎖は何だろう?

 

 

 

なるほど、石造りの壁の間にシャッターが設置されていました。

 

 

 

大階段の手摺りの装飾が良いですね。折り返しの手摺りの曲がり具合が素敵です。

 

 

 

美しい階段だなあ。

 

 

 

貴賓室。金唐革紙の壁紙が豪華です。

 

 

 

会議室。明治38年のポーツマス条約で北緯50度と定めた日露国境を、翌39年に両国委員が現地測量で確認した後、3日間の日露樺太国境確定会議が行なわれた場所です。

 

 

 

左右対称の玄関ポーチ。窓から見えるのは運河公園の噴水ですが、当時は船入澗(ふないりま)があったそうです。

 

 

 

玄関の扉前にもシャッターがありました。明治29年にイギリスからスチール・シャッターが輸入され、国産シャッターが作られたのは明治36年ですから輸入物だったのでしょうか。

 

 

 

建物裏手の旧手宮線跡地を通って総合博物館本館へ向かいましょう。

 

 

 

 

𝑇𝑜 𝐵𝑒 𝐶𝑜𝑛𝑡𝑖𝑛𝑢𝑒𝑑...