にえの村 | Apologies

Apologies

My apologies

このブログはフィクションであり、実在する事件、団体、人物との
いかなる類似も必然の一致です。


 

 

寝る前にお話しひとつしてあげますよ。

 

 

 

「私は気が小さいから蟻を探しているんです」


中年の男はわたしに気付くと、そう呟くように言って這うように道端で植樹の根元の草叢を手で掻き分けている。

 

確かに気がつけば蟻が部屋にいることは、よくある日常の風景かもしれない。


きっと男は蟻に噛まれた嫌な記憶があるのだろう。

 

わたしは男に軽く会釈をしたが、蟻探しに夢中のようだ。

 

この村に入って歩き続けているが、廃屋が目立ち人影は少ない。


過疎の村なのだろうか。


何もかもが空虚に感じられるのは、そのせいかもしれない。

 


「いたあっ!」


声に振り返ると、男は何やら指に摘んだものを嬉々として眺めている。


どうやら蟻を見つけたらしい。

 

男が指に力を込める。


蟻は死んだようだ。


男はズボンのポケットから出したハンカチに、蟻の死骸を包むと立ち去ってしまった。

 

そのまま巣まで案内させた方が駆除しやすいだろうに。


一匹を殺したとて状況が変わるものでもあるまい。

 

不思議な気持ちがしたが、人様のことにいちいちかかずらわってもいられない。


今日はこの村を抜けて隣街にたどり着く予定なのだ。

 

目的地を前にした駅で、ふと気候のよい今日のような日は、歩くのにうってつけに思えたのだ。

 

 

このまま進むより幹線道路から脇道を通り抜けたほうが近いかもしれない。


わたしは思いつくままに道程を変更した。


竹藪の道に入ってしばらくすると子供たちの声が聞こえてきた。


数人の子供たちが何かを取り合いしているようだ。

 

その中の体格のいい少年が大声で叫んだ。


「オレが一番先に見つけたんだ!」


周囲の少年たちは、その声に怯んだように俯いてしまった。


それを同意と受け取った体格のいい少年は、やおら包み込むように両手で何かを地面から拾い上げた。

 

少し近付いて見てみると、それは一匹の芋虫のようだった。


少年の掌で蠢くそれは、本能的に逃れようとしていた。


いきなり少年は、その芋虫を力一杯地面に叩きつけた。


ビチッという音と共に、破裂した胴からの体液に塗れて芋虫は断末魔にのたうっている。


周囲の少年たちはその光景を気にすることもなく立ち去っていった。

 

芋虫を殺した少年はポケットから携帯端末を取り出すと死にゆく芋虫を撮り始めた。

 

少年はわたしに気付くこともなく撮影に夢中だ。


子供というものは、いつの時代にも残酷なことを愉しむものだ。

 

 

竹藪を抜けるとそこは旧道らしく古い商店街らしき通りがあった。


やはり人通りはなく、ポツリポツリとある商店も開いているのか、閉まっているのかもよく分からない。

 

ボンヤリとした旧道を歩いていると、水槽に魚の泳ぐ飲食店の前に差し掛かった。


『活魚料理 金子』営業中の札が出ている。


そう言えばそろそろ昼時だ。


この先、飲食店がある保証も無さそうなので、暖簾をくぐって扉を開けた。


 

客は一人もおらず、カウンターの中で店主と思しき初老の板前が、所在無さ気に煙草をふかしている。


わたしに気付くと煙草を消して「いらっしゃい」と立ち上がった。

 

カウンターに着くと、おしぼりとお茶を置いた店主が手を洗い始めた。


わたしは店内を見渡し、黒板の本日のおすすめを眺めた。

 

今日のお奨めは鯵らしい。


素直に活鯵定食とやらを注文した。

 

店主が水槽の生簀から大振りの鯵を網で掬い上げた。


網の中で暴れる鯵をわたしに掲げて「やりますか?」と尋ねてくる。


わたしが理解できない表情でいると、店主は「あーここいらの人じゃなかったですね。じゃあ、わたしの方で捌かしてもらいますよ」

 

なるほど、客自らが魚を捌くことができるのか。


珍しいサービスだな。

 

「この辺りの風習のようなものですよ」


背後からの声に驚いて振り返ると、店に入った時には見えなかった奥の座敷に女性がいた。

 

半袖のブラウスから見える真っ白とも言える肌と化粧気のない顔、ヘーゼル色の瞳が印象的で、胸の盛り上がりがウエストに向かってキュッと締まっており、まるで砂時計のような体型をしている。


肩までの黒髪を真ん中で分け、相貌は日本人離れした西洋人とのハーフのようだ。


年齢は三十才前後だろうか。

 

机の上には本や冊子、タブレット端末などが置かれていた。

 

「学術調査で、この辺りの文化や風習を見聞しているんです」


女性は名乗り、わたしの知らない大学の考古学准教授であることを告げた。


随分と若い准教授だとは思ったが、昨今の大学の事情などは、わたしに知る由もない。

 

わたしも名乗り、同席を願い出ると快諾された。


少々興味が湧いたのである。


無論下心などは・・・ない。


一人旅は時に出会いを愉しむものだと何かの本で読んだことがあるのだ。

 

わたしは店主に断って座敷へと移動し、ヒエダと名乗った女性の前に座った。


 

「考古学と言うのは、そんな民俗学的なことも調べるのですか?」

 

「そうですね、神話学に近いかもしれません。私はどうも異端のようです。大学でも学会でも変人扱いされてますけど、学生の講義のウケは結構いいんですよ」


そう言って少し自嘲気味の笑みを見せる相貌は学者らしさの欠片もなかったが、むしろそのことに好感のようなものを覚えた。

 

「こういったフィールドワークは趣味でもあるんですが、考古学と全く関係がないわけでもないんです。時として、現代まで残る習慣や風習が、過去の事象を解明する手がかりになることもあるんですよ」


彼女の語り口調はやはり教育者らしい明瞭さと明晰さを感じさせる。


なんだか学生のような気分になってきた。

 

「それで、先程おっしゃっていたこの辺りの風習と言いますと?」


わたしの問いに彼女は、さも嬉しそうに語り始めた。



「人身供犠いわゆる人身御供ってご存知ですか?」


彼女はわたしの目を見つめて聞いた。

 

「ええ、人を神に捧げる儀式ですよね」

 

「そうです、生贄として長らく人の命を捧げてきた伝承がこの村にはあるんです」

 

「でもそういった伝説は全国にありますし、せいぜい中世頃までですよね?」


わたしが少し大袈裟に顔歪ませると彼女は少し眉をしかめた。

 

「今でも小動物を生贄とした儀式が各地で行われていることはご存知ですよね」

 

「でもあれは蛙程度でまさか人なんて・・・」

 

「この辺りでも中世頃まで人が生贄として神に供されていましたが、江戸時代には時の藩から禁止令も出たようです」


彼女の視線が遠くを視ているようだ。

 

「この村にはニエトノモリというかなり歴史のある神社があります。贄人杜神社と書きます」

 

なるほど、いかにもな名前だ。

 

「禁止令は出ましたが村では、ひっそりとその神社で儀式は連綿と行われ続け、明治維新を経て先の大戦頃まで存在したようです」

 

「本当ですか?」


にわかに信じられず、少し声が大きくなる。

 

「昔話だよ!噂の類いだ」


話が聞こえていたのか、笑い声で店主が言った。

 

「ええ、そうですね。まだ私の推論と想像が多分に混じっています。しかし先日、神社の古文書の中から儀式に関する物を見つけ出したんです。中には昭和初期の物もあったんです。それで宮司さんも事がことだけに口が重くなり、協力を得られなくなりそうなんですよ」


彼女は実に残念そうだ。

 

「しかし村人もそうそう生贄に人を出すことを同意しないでしょう?」

 

「そうですね。ですからこの辺りでは主に旅人がマレビトとして捧げられたようです」

 

「それが事実であれば誘拐殺人ともなるわけですから口も重くなるでしょう」


わたしは余り信じていない口調を隠さずに言った。

 

「それで村の人たちに聴き取りをしているんです。村長さんや村役場の方も村おこしに関連して、その辺りのことに興味はあるようなんですが。それより何故そんな儀式がずっと執り行われてきたと思います?」


彼女の視線が強くなる。

 

「さあ、信心深さですか?」

 

「いえ、神に人の命を捧げるのですから、何某かの願いがある筈です。そしてその願いは必ず叶うとしたらどうでしょう」


彼女の眼が挑むようだ。

 

わたしは眼を丸くするしかなかった。


馬鹿馬鹿しいと心が言う。

 

「神社の古文書、役場の村史や資料、村民の聴き取りから少し判ったことがあります。この村では資料に残る中世の萌芽期、平安時代の頃より戦乱、災害や飢饉などがほとんど、いえまったく起こっていません」

 

わたしは頷くしかなかった。

 

「そして先の大戦、いえ明治以降の戦争でもこの村から出征した者は一人も戦死していないんです」


彼女の眼は真剣そのものだ。

 

「それは偶然じゃないですか」


わたしの口調が少し弱くなるのを感じた。

 

「そうかもしれません。しかし今でもこの村では何かの生命を日々捧げる事が慣わしになっています」

 

そうか蟻を取っていた人、芋虫を殺していた少年、自ら魚を捌ける店。


・・・旅人。

 

少し寒気を感じたわたしは、店主に熱燗を頼んだ。

 


酒と定食がやってくると、彼女は宮司への交渉と村民への聴き取りに戻ると言って荷物を纏めると、上着を手にして店を出て行ってしまった。

 

なかなか面白い仮説と言う名の物語りに若い探求者の情熱を感じつつ、改めて鯵に手を合わせると燗酒で心を温める。

 

なめろう、刺身、煮物、焼物、揚物、どれもすべて美味しく酒が進んだ。


ほろ酔い気分になったが、二本目を頼まずにはいられなかった。


いつもより回りが早いのは歩き疲れたせいだろう。


 

なんだか眠気を感じる。


呑み過ぎだろうか。


ここでひと眠りさせてもらおうか。


これもまた旅の愉しみというもの。

 


これだから旅はやめられないのだ。