疫病の街 | 永劫回帰

永劫回帰

価値なき存在




「おい!キサマ何をしとるか!!」怒鳴り声に振り向くと特殊警棒を持ちマスクをした警察官が二名、駆け寄ってくるところだった。


わたしは途中下車した人気のない駅前のベンチに腰掛け、ウトウトとしていただけなのだ。


「おい、オマエ、なぜマスクをしていない!ワクチン接種証明書と外出許可証を出せ」もう一人の警察官が腰の拳銃に手を添えて詰問してくる。


「何かの誤解ではないですか?」わたしは彼等の興奮ぶりにやや戸惑いながら話しをしようと立ち上がり近づいた。


「それ以上近づくな!!」拳銃を抜いた警察官がわたしに警告した。


わたしが驚愕し立ち止まった時、もう一人の警察官が特殊警棒を振りかぶるのが見え、それが後頭部に打ち込まれる衝撃を感じだ。


「このウイルス野郎が!」これがわたしの聴いた最後の言葉で意識が混濁し遠退いていった。



朦朧とする意識の中で、頭痛を感じ後頭部に手を当てようとするが手が動かない。


なんとか眼を開くと、わたしの軀は机の前の椅子に縛り付けられており、両手も机の上に革製のバンドで固定されていた。


呻きながら顔を起こすと正面に軀に張り付くようなオーダーメイドのスーツを着た、痩身でオールバックの髪型の中年男性が腕を組み、わたしを値踏みするように見下ろしている。


「お眼醒めかな?よく眠れたかね?」男は柔らかな声で物静かに尋ねた。


わたしは酷い頭痛で声も出ず息苦しさに身を捩り、軀を動かそうとするが、椅子に固定された足枷がガチャガチャと音をたてただけだった。


男の両側には壁を背にして立ち、白色の防護服と眼まで覆う防毒マスクを被った人間が手に槍の様な物をもって立っている。

二人の性別も年齢も見分けが付きそうにない。


わたしは頭をグラグラさせながら机の男の顔を見た。


男は死んだ魚の様な眼で、目尻に皺を作り笑顔らしきものを見せるとまた口を開いた。


「現場からは君が激しく抵抗した、との報告が上がっていてね。この拘束も止むを得ない処置なんだよ」男は机の上で両手を組んで肘を着いた。


「何かの間違いだ。わたしは何もしていない」やっとのことで声を出した時に自分がマスクをされていることに気づき、わたしは無理矢理に椅子ごと立ち上がろうとした。


その時、両脇の防護服二名がわたしの脇腹に槍を刺すように当てた。

電気ショックが全身に流れ、わたしは悶絶して椅子と伴にへたり込んだ。


「君たち、手荒な真似はいかんよ」スーツの男が平坦な口調で言う。


「申し訳ない。彼等はわたしと違って少々乱暴なところがあってね。いやはや監督不行届きだね。すまない」囁くような声で内緒話をするように言い男は笑った。

嫌な眼つきだ。

これは何かの異端審問なのか?


「一体わたしが何をしたって言うんです。わたしはただ駅前のベンチに座っていただけだ」わたしはこの状況を理解し弁明する為に口を開いたが、マスクの中で弱々しい声しかでない。


「そこだよ、君。そこが問題なんだよ。君はマスクもせず、ワクチン接種証明書も許可証も持たないで外出していた。わたしのように免疫体質者ではないにも関わらず。つまりは公衆衛生の敵なのだよ」彼はわたしを人差し指でさし、その指をゆっくりと左右にゆらせた。


「いや君はひょっとすると免疫体質者かもしれないし、潜在的感染者かもしれない。今、君の血液を検査しているところなのだよ」男は実に楽しそうに話す。

さすがのわたしも苛つくくらいだ。


「わたしはただの旅人だ。この街に立ち寄っただけだ」わたしは真実を口にしていた。


「あーん。みんなそう言うんだよ。私は神に誓って真実のみを述べます。しかしそんなものはママのお腹の中に忘れてきたはずだ。そうだろ?」死んだ魚の様な眼が笑った。


「私が訊きたいのは、簡単なことだ。君がどの反ワクチン反マスク活動組織に属しているのか?だけだ。マスクワクチン解放同盟か?反ワクチン解放連合会?革命的必要火急主義者全国委員会?革命的外出主義者同盟革命的反コナ主義派?反コナワクチン武装戦線?」男はスラスラと聞いたこともない組織名を並べたてた。


「知らない。わたしはそんな組織には関係ない」通りすがりのわたしに分かるわけがないのだ。


「それは残念だ。君はもっと正直な人間だと思っていたよ」そう言うと男はスーツの右内ポケットから左手で卓上ベルを取り出して机に置き、左の内ポケットから右手で黒く長い棒のようなものを取り出して並べて置いた。


「これはベルだ」そう言うと男はベルを押してチンと音を出した。


「こっちは興味深い物だぞ。コードバンを知っているかね?貴重な馬の革で作られているんだよ。中には砂鉄がびっしりと詰められている」男はそれを手に取り左の掌に軽く叩きつけた。

重みのある音が響く。

悪い予感が脳裏を駆け巡る。

わたしは汗をびっしょりとかいていた。


「あーん。いかんなあ。汗をかいているじゃないか。人は嘘を吐くと汗をかいて脈拍数が上がると聞いたことがあるぞ」男はわたしの眼をじっと見ていた。


「いい話を聞かせてやろう。先ずベルを鳴らす」男がベルを鳴らすと同時にコードバンの砂鉄入りの棒で、わたしの左手の小指を思いっ切り叩いた。


あまりの痛みに、わたしは悲鳴を上げた。


「しーっ」男が左人差し指を口の前に立てる。


「いいか、よく聞くんだ。このコードバンの棒の名前はブラックジャックと言うんだ。面白いだろう。どんな病も治す医師と同名なんだ」男は大声でさも愉しそうに笑った。


「じゃあこのベルは何の為にあると思う?」男はまたベルを鳴らすと左小指を打った。

わたしはまた悲鳴を上げた。


「やめてくれ!本当に何も知らないんだ。頼む」わたしは薄らと涙を流しながら訴えた。


「今から面白い実験をしようじゃないか。君には目隠しをしてもらおう」男がそう言うと両脇の防護服が、わたしに目隠しをした。


「何をするんだ!やめてくれ!」わたしには、なす術もなかった。


「今からベルを鳴らす度に君の左小指をブラックジャックて叩く。ダメだダメだ、指を隠すと第三関節が折れて物が握れなくなるぞ」そう言うとベルが鳴り小指に激痛が走った。

わたしは悲鳴と罵りの言葉を喚き散らしたが、男の行為は止むことはなく、規則正しく続けられた。


「君はパブロフの犬の話を知っているかね?そう条件反射の実験だよ。ただ今日はそれを少し進化させてみたんだよ」男は心底この拷問を愉しんでいる。

キチガイだ、サディストだ。


「ベルを鳴らすと小指を叩かれる。これをずっと繰り返すと君はベルが鳴る音を聴いただけで、小指に激痛が走るようになる。そして最後は私が叩かなくてもベルの音と君自身の意思の力で小指の骨を砕いてしまうんだよ」またベルが鳴り小指に痛みが走る。


そんな事を何度か繰り返すうちに、男の言うようにベルが鳴るとわたしは小指に痛みを感じていた。

実際に叩かれているかは分からないが、規則正しくベルは鳴り痛みに悶え苦しんだ。


この拷問は実に効果的だ。

わたしはもうどんな罪でも認めてもいいような気になっていた。

ひょっとしたらもうわたしの左手の小指は失くなっているのかもしれない。


呻き声さえ出なくなった頃、扉の開く音がして、何やら囁やく声が聴こえた。


と目隠しが突然外された。

わたしは自分の小指を見た。

無事だった。

少し赤くなっているが、動かすこともできる。


「君は実に面白い反応をする男だ。私の期待を裏切らなかったよ」男はまた苛つく笑みを浮かべている。


「しかしお遊びはここまでだ」男が立ち上がるとブラックジャックを手にわたしの背後に立った。

わたしは殺されるのだと覚悟をした。


「よい旅を」男は顔を近づけて、わたしの耳にそう囁いた。

と同時に後頭部に衝撃を受けて、わたしは昏倒し暗い暗い闇に落ちていった。



揺れが律動を刻んでいる。

わたしは規則的に揺れながら眠っているようだ。

ここはどこだろう?

わたしは・・・眼を開くとバネの様に立ち上がった。


ここは列車内だ。


わたしは座席に腰掛けて眠っていたのだ。

夢か?

今までの出来事は?

夢か?

左手の小指が赤く腫れている。

動かすと痛む。

頸筋も酷く痛む。

手をやると何か湿布らしきものが貼ってある。

あれは現実だったのか?


わたしは座席に着き、しばらく考えたが、なぜ列車に、いつ乗ったのか、いや乗せられたのか、まったく覚えがなかった。

ともかく無事に生きていることを素直に喜んだ。


その時、わたしはポケットに何かが入っていることに気づいた。

取り出してみるとあの押しボタン式のベルだった。

クソっ畜生め、あの野郎。


そしてカードが一枚添えてあった。

そこには文字が書かれていた。

『よい旅を、餞別替わりに。同志免疫体質者より』



・・・忌々しいあの街は感染し汚染されているのだ。

狂気という病に。


誰もが見えない恐怖を歪な公衆衛生の絶対的正義という呪縛で忘れようとしている。


それはウイルスでも細菌でもなく、未来永劫癒えることなき不治の病として心の隙間に蔓延っているのだ。



そして、わたしの宿痾とも言える病は・・・


こんな目に遭ってもなお、この旅をやめられないことだった。