毎日、毎日、ゾンビランドに暮らしていると、チロチロとしたドス汚れた殺意の萌芽が、メラメラと大きな形として揺れ上がってくるのを感じる。
そういう感情を放置していると全てのモノゴトが腐り始めるのが手に取るようによく分かる。
毒を進んでありがたく受け容れる連中は、ひょっとしたら人間ではないのではないかと確信に近い思考に脳が支配される。
速効性と遅効性、死ぬか病か、毒吐き家畜の末路を見るのもウンザリしてしまうんだよ。
自覚ないままに巻き込んでいくスタイルの中で、笑顔の幼きものどもが、わたしの生涯を断罪しているような気がしてくるのは、もうまっぴらごめんだ。
もらった料理を食べながら、その魚の味と名前を一致させようと記憶を総動員するが、どうしても思い出せない。
知っている味なんだ、どこかで食べたはずなんだ、そうして味わえば味わうほど、遠ざかる脳内シナプスの敗北と逃走。
結局、その魚の名が脳の奥底から現れることはなかったので「これを作った料理人を呼んでこい‼️」とも言えず、畏れながらと料理を作った人へ問うてみたところ、わたしの食べたものは「鶏胸肉」という名の魚だった⋯。
キチガイの始まりは呆気なくやって来るものなのだな。
人間の心はいとも容易く破壊されると改めて思い出したよ。
そう人生なんて意味がない、ましてや生きることに価値さえもない。
どうか明日は覚醒めませんようにと信じてもいない神に祈っても叶いはしない。
でも自身の脳で自分を殺すことは可能性ではないだろうか?