寝る前にお話しひとつしてあげますよ。
列車を降りホームに立つと、辺鄙で小さな田舎駅にもかかわらず、人びとがごった返していた。
やはり帰省の時期は、この街も束の間賑わいを取り戻すのだろう。
改札を出ると私には不釣り合いともいえる若い妻と幼い息子が手を振って迎えてくれた。
単身赴任と呼べるほどの長い旅をしていたのだ。
「あなた、おかえりなさい」
妻は満面の笑みを浮かべて私を見つめる。
「パパーッ!」飛びついてくる息子を抱きあげると、懐かしい子どもの匂いがした。
妻に促されるままスーパーマーケットや商店街で夕食の買い物をする。
私の好きなものを、これでもかと言わんばかりに買い込んでいる。
私は息子と菓子コーナーでキャラクターチョコレートを物色する。
どうやら息子のお目当ての品があったようで、ご機嫌な様子だ。
買い物を済ませると妻の運転で家へと向かう。
生活感を感じさせないほど綺麗に手入れされた家は、入るのに気後れするほどだった。
庭には花が咲き乱れ、室内は埃ひとつなく整理整頓されている。
本当に申し分のない妻である。
早速、妻は鼻歌交じりに夕飯の支度を始めた。
私は息子のテレビゲームの相手をする。
ルールもよくわからないが、まったく息子に歯が立たない。
息子はどこか得意げな表情で私の弱さを笑う。
子どもはいつの時代にも大人を負かすことに熱心なものだ。
やがて夕食の時間だ。
私の好物ばかりが並ぶ食卓に着くと三人に笑顔が溢れた。
食事中、妻はフィットネスクラブの話を夢中で口にする。
息子は駆けっこの早さを自慢する。
私は、そんな話を聞くともになく聞き、幸福について想いを馳せた。
息子と入浴し絵本の読み聞かせで寝かしつけると、私は長旅の疲れでベッドに倒れ込み寝てしまった。
どれくらい眠ったのだろう、気がつくと妻が布団に入って来るのがわかった。
妻の温みは久しく感じたことのないものだった。
翌朝、息子に揺すり起こされると、心地よい疲労感と共にリビングへ向かう。
朝から食卓いっぱいに並んだ料理をたいらげると、今日一日の幸福が軀を満たすのがわかった。
食後の珈琲を飲みながら新聞を読んでいると、あっという間に時がやってきた。
残念だがまた出かけなければならない。
妻と息子が駅のホームまで見送りに来てくれた。
「お仕事頑張ってくださいね」と妻。
「次はお土産忘れないでね」と息子。
それぞれの声に私は頷いて「じゃあまたな」と手を振った。
発車のベルが鳴り列車の扉が閉まる。
席に着くと窓から手を振る二人の姿が見えた。
妻と息子は見えなくなるまで手を振っていた。
やがて移りゆく車窓ををぼんやりと眺めながら私は考えていた。
あの妻と子にはもう二度と会うことはないだろう。
わたしはあの二人のことをこれっぽっちも知らないのだから。
一夜限りの家族の団欒を味わったことで良しとしようか。
これだから旅はやめられないのだ。