金曜日の夜に床へ入ると、そのまま土曜日も終日眠り続ける。
朝目が覚めても布団から出る気にはなれないし、何をしようという気にもなれない。
最低限しなければならないことはある。
洗濯と掃除くらいは人間らしい生活を送るならば必要だろう。
だが、それも日曜日の午後には起き上がらなければ行なえない。
最近はかなりの確率で月曜日の朝まで眠ってしまう。
掃除も洗濯も放置である。
なぜ布団から出られないのか?それはよく分からないが、現実逃避の一種だろう。
眠りの国がそれほど居心地のいいものではないのは分かっているが、現実の無慈悲さよりはマシな気がしている。
愉しい夢でも見ることができればまだしも常に不快な悪夢であり、わたしを責めるような内容のものしかないので、目覚めてぐったりしてまた眠りに墜ちる。
しかしよくこの五十数年の記憶から様々な物語りを構成するものだと感心もする。
今日は珍しく午前4時半に目覚めて布団から出ようという気になった。
悪夢で脳内の処理が終わったのか、便意のせいか、理由はよく分からないのだがまあよしとしよう。
ついでにもうほぼ一ヶ月放置した汚部屋を掃除しようかな。
部屋中が髪の毛の敷物で覆われているのは、やはり見苦しいことこの上ない。
誰かが来ることもないので構わないといえば構わないのだが。
紅茶を淹れて蜂蜜と豆乳と合わせて、それを持ってトイレに籠る。
あまりこんな馬鹿げたことをする人はいないだろうが、わたしの排泄は大の場合最低でも三十分、長ければ一時間はかかるのだ。
だから色々と飲み物とともにスマホでSNSを彷徨ったり読書をしたりもする。
食事も摂らないで寝たきりの後は、不思議なことに必ず下痢をするのである。
何も食べてないのに排泄物があるのは日々何かしらの不要物が体内で発生しているからだろうか。
ついでに嫌な記憶なんかも排泄してくれはしないものかと埒もないことを考える便座上のティータイム。
そうブログ記事のほとんどがトイレの中で書かれていることもついでに申し述べておこう。
排泄というのはある種の快楽的行為だと思うので、脳もリラックスするのであろうか、集中力も持続しているような気もする。
さてそんなことを考えてブログを書いていると、もう既に一時間は経過している。
掃除や洗濯やたまりにたまった食器洗いを始めるには少し早朝すぎるだろう。
お風呂にでも入って湯船でビールでも呑もうか?
いやそれをすると風呂上がりにまた眠ってしまうだろう。
うーむ、なんとか睡魔から逃れつつ今日のミッションをクリアしなければ・・・。
愚かしい日々の無駄遣いは至高の贅沢なのか?
ショウペンハウエルかルバイヤートでも読んで時間を潰すとしよう。
いやそれ以外も書籍が溜まっているのだった。
死ぬまでに読めるのかな?