永劫回帰

永劫回帰

価値なき存在

For the dead there are no more toils.

 
 
 
 
昨日の寒さを教訓に、しっかりと朝食を摂って行動開始です。タイツとダウンも完全装備w
 
函館市電に乗り本線の終点「函館どつく前停留場」で下車。因みに読み方は「どっく」です。
 
 

 

何とも殺風景ですが線路はここまで、降車する乗客は観光客数人と地元民1人だけでした。1日の乗降人数は350人程ですから、ほとんどが観光客なのでしょうね。大正時代には魚見坂へ延伸する計画もあったようですから、当時は賑わいもあったのでしょう。

 

 

 

停留場前の公園の隅に寂しげにポツンとある「新選組最後の地」石碑。箱館戦争で弁天台場に孤立した旧幕府軍は食料が尽き、新政府軍に降伏。ここに新選組は終焉を迎えます。この時、弁天台場の救援に向かった土方歳三は、途中で狙撃され戦死したと言われています。

 

 

 

公園の向かいにある厳島神社。創建は江戸時代前期で、幕末にこの地に移転した頃は海が真ん前だったそうです。

 

 

 

首の太い狛犬。

 

 

 

阿吽共に大きな珠に乗っている珍しいタイプ。

 

 

 

社殿は明治40年の大火で焼け落ち、大正時代に再建されています。

 

御参りが済んだら海の方へ、古い倉庫を見に行きましょう。

 

 

 

赤煉瓦倉庫を利用したボルダリングジム。

 

 

 

漁具倉庫を改修したアートギャラリー。

 

 

 

「函館どつくレンガ倉庫」明治34年に建設された日本最古級の赤煉瓦倉庫建築です。明治40年の函館大火を免れた貴重な産業遺産なのですが、春に函館どつく株式会社より解体の発表がされています。10月からの解体予定でしたが、わたしの行った下旬には、未だ解体されておらずに残っていました。何とか残して欲しいものですね。

 

 

 

レンガ倉庫の前はアートギャラリーと花屋。古い建物を利用して残しているのは良い取り組みですね。

 

 

 

函館どつくレンガ倉庫は長手積みと呼ばれる煉瓦積み工法で建てられていることが特徴です。

 

 

 

こちらの石造り倉庫は家具製造会社。色んな倉庫が残っていますが、観光客は皆無でした。街外れだから、わたしみたいな物好きしか来ないのかしらん。

 

 

 

レンガ倉庫を過ぎると弁天台場跡。標柱が有るだけで当時の痕跡や面影は皆無です。周囲は自転車置き場の模様。そのうち朽ちそうな感じでしたね。

 

 

 

弁天台場跡の前に「函館どつく㈱」の門がありました。恥ずかし乍ら、ここに来るまで「函館どつく」という会社があるとは知りませんでした。てっきり昔からの地名だと思ってたわ😅

 

 

さてレンガ倉庫を見たので、戻って幸坂を登ってみましょう。


いやあ、しかしこの坂がキツイのなんの南野陽子💦 息は上がるし汗がでるわで、ダウンを脱いでダウン寸前www

 

 

 

立派な蔵ですが何かのお店かなあ。窓の花札のステンドグラスがお洒落です。

 

 

 

急傾斜なので家の前を平らにする為に歩道には、所々階段とスロープが設けられています。それにしてもずーっと坂😮‍💨

 

 

 

坂は続くよ何処までも•••😵‍💫 お尻の筋肉が痛い💧

 

 

 

旧ロシア領事館へ到着。現在は高級ホテルになっています。それにしてもこの傾斜ですよ💦 ゴールデンカムイでは、この坂を鯉登少将と鶴見中尉が、誘拐された鯉登音之進を救う為にエンジン付き三輪車で爆走する描写が。聖地巡礼とかで訪れる人もいるのでしょうね。

 

 

 

このホテル宿泊料金が30万超えとかで、いやあ驚きですわ😱 来世でも泊まれなさそうですwww

 

 

 

坂を登り切って振り返ると、この景色。海まで一直線の坂道です。登った甲斐があったというものです。左上に見えているのはドック入りする海上自衛隊の護衛艦でしょうか。( •̀ω •́ゞ)✧ビシッ!!

 

 

 

坂道のドン突きには「山上大神宮」が鎮座しています。

 

 

 

切妻屋根で内削ぎの千木と鰹木がある神明造りの縦拝殿。と思うたぶんw

 

 

 

鳥居越しの幸坂。静かで誰も居ない境内は気持ち良かったのですが、ふと羆が出てもおかしくないよなと考えると少々怖くなり、そそくさと退散しました😅

 

 

さてさて、坂の登り降りはできるだけしない様に横移動で次のポイントへ向かうことにします。

 

 

 

途中の街中にも味わい深い建物があって、見所は尽きませんね。

 

 

 

 

𝒕𝒐 𝒃𝒆 𝒄𝒐𝒏𝒕𝒊𝒏𝒖𝒆𝒅…