Apologies

Apologies

このブログはフィクションであり、実在する事件、団体、人物との
いかなる類似も必然の一致です。

For the dead there are no more toils.

 

 

 

 

高橋和巳という小説家を知ったのは仕事で、とある街の河川について調べていた時だった。

その街の河川近くの丘の上のアパートに彼と妻の高橋たか子(小説家)が住んでいたことがあり、旧河床の道を歩いて生活をしていたのではなかろうか?というような内容の個人ブログだったように記憶している。

仕事の調べ物が粗方片付いて暇を持て余している時に、ふとこの作家のことを思い出し調べてみた。←本当はいつも暇www

 

高橋和巳は昭和中期に活躍した作家で中国古典文学の研究者でもあり、当時の社会問題について語る左派の論客で全共闘世代に支持された思想家でもあった。

二十代半ば頃から妻に経済的に支えられながら執筆活動に専念し、31歳(昭和37年)の時にデビュー作『悲の器』で第一回文藝賞を受賞している。

そしてそれから僅か8年後に病没しており、活動期間の短さや社会や価値観、時代の変遷の中で、今や存在すら忘れられた作家となっている。

 

その作品についても調べていくと『散華』という短編小説に魅かれた。

あらすじはWikipediaでも読めるが、二人の登場人物の親和と葛藤を描き、戦中と戦後の代表者として登場人物の中津と大家に生じたアポリアを読者に喚起しているような話である。←よくわかってないが何となくの解釈で使ってみたwww


書籍を購入しようとしたが普通の書店ではもう流通していないようで、昭和42年刊行の河出書房版を古本で入手した。

 

 

 

 

表題作の『散華』は高橋和巳本人をして「短い長編」と言わしめたアンチノミーな短編小説である。←覚えた言葉を使ってみて、それっきりのパターンwww

上位価値概念へと至ろうとし死へ向かった自己を肯定した自己否定者と、それを諦めある種の逃亡をした済し崩しの自己肯定者(わたしもこの口だろう)の物語は面白く読めたのであるが、その他の短編がかなりきつくてとても疲れた。

渡り鳥を描いた話と戦時中の軍需工場を舞台にした話、その他の三話は戦後を引きずった貧困が描かれており、どれも全く救いのない展開で、その細かい描写は臭いさえも浮かんで来るようなものだった。そういう時代が幼少の頃の暮らしにあったからだろうか、あまりにもリアル過ぎて実体験のように感じてしまった。

 

各話の簡単なあらすじ。

『貧者の舞い』 奇妙なことに往診依頼者である姉がが直接訪れ、十二歳の小学生の妹を診察して欲しいと頼まれた医師が向かった先は屠牛場のあるスラム街(おそらく被差別部落をモデルにしているのではなかろうか)で、成り行きで路上で少女を診察することになるが・・・。

『あの花この花』 大戦末期に船舶の付属品製造工場に動員された学徒と工員達の争いと空襲、狂気に満ちた日常と戦後になっても忘れられない歌。二葉あき子「あの花この花」昭和15年

『日々の葬祭』老婆の往診依頼に応えて向かった煙草屋の二階で寝込んでいる結核患者の若い娘に、医師は罹患前に付き合っていた男性に小さな軽い紙包みを渡して欲しいと頼れ渋々承諾するが・・・。

『飛翔』 シベリアからの渡り鳥の過酷な生態を描くドキュメンタリータッチな作品。

『我れ関わり知らず』 弁護士に成れず工員として、兄の経営する家業の金属成型を手伝う主人公は、自分の不甲斐なさと周囲を取り巻く現実と腐りかけた理想の中で日々を暮らしているが、様々な出来事に精神的に追い詰められ・・・。

 

まあどの話も鬱展開でどうしようもない気分にさせられてしまうのは、作者の表現力が凄いからなんだろうけれど、発表当時に読んでいればまた違った感想だったのかなあ。