幻想水滸伝
ひよことわんこ
 
 
 
 
 ベンチに座って頬杖をつきながら、ユリウスはぼんやりと道行く人を眺めていた。
 付き人が宿を取りに意気揚々と街中へ消えてから、かれこれ二時間が経過。しかし彼が帰ってくる気配はまるでない。
 やっぱり自分も付いていくべきだったかな、と小さく溜息をついた時だった。
「あーあ、一つ逃げちゃった」
 突然降りかかった暢気な声に顔を上げると、そこには見知らぬ金髪の男が立っていた。
「知ってる? 溜息つくと幸せが一つ逃げちゃうんだよー?」
「………」
 図々しくも隣に腰かけてにへらと笑った彼に、ユリウスはあからさまに胡散臭そうな視線を向けた。
 すると男は何を思ったのか、慌てたように両手をぶんぶんと振り始める。
「あ、別に俺アヤしい者じゃないからね? 君を誘拐しようとか、そんなことこれっぽっちも考えてないから安心してくれていいよー」
 ―――いや、見るからに怪しいんですけど。
 ユリウスは冷ややかに一瞥してから、彼を無視して雑踏にまた目を戻した。
 しばらく隣から「え、無視? そんなっ」とか、「ねぇねぇこっち向いてよー」といった情けない声が聞こえていたが、やがて水を打ったように静かになる。
「……?」
 諦めたのだろうか。ちらりと様子を窺うと。
 謀ったように笑う男とばっちり目が合ってしまった。不覚である。
「君、俺が昔仕えてた人に似てるんだよねー」
 悔しそうに顔を歪めたユリウスを余所に、どこか真面目な顔で男が口を開いた。そこに先程までのおちゃらけた様子は見る影もない。
 その落差に少し驚きつつも、ユリウスは首を傾けた。
「あ、仕えてた人っていうのはね、そりゃもう女の子に間違えそうになる…――いやむしろ実は女の子なんじゃ!?って疑いたくなるくらい可愛い男の子なんだけど!」
「………」
 何故か握り拳を作って熱弁し始めた男に、今の自分の驚きを返してくれとユリウスは脱力した。
 ―――というかその人に似てるって……自分のことも女顔だと言いたいのだろうか。
 気づけばまた一つ、嘆息を漏らしていた。
 男はそんなユリウスに構わず話を続ける。
「なんていうのかな。雰囲気というか……瞳の強さ、みたいなものがよく似てるんだよねー」
 空を見上げながら紡がれる言葉は優しく、眼差しはどこか遠い。
 その様子から、彼が主のことをいかに大切に思っていたかが分かる。
「だからつい声かけちゃったんだ。気を悪くしたならごめんねー?」
 眉を下げて困ったように笑う彼に、ユリウスは緩く首を振った。
 一見すると巫山戯ているように見えるが、意外に誠実な人なのかもしれないと、心の中で思う。
 ユリウスの雰囲気が少しだけ柔らかくなったことに気づき、男はえへへと嬉しそうに笑った。
「ところでその服…」
「?」
「それって、赤月帝国のだよね?……あれ、今はトラン共和国だっけ?」
「―っ」
「君、トランの方から来たんだー。あっちはこの前まで戦争してて大変だったでしょ?」
「………」
 ユリウスの表情が途端に曇る。その理由がわからず、男は「え、何で!?」と困惑した。
 大変だった、どころではない。ユリウスはまさにその戦争の渦中に身を投じていたのだから。
 赤い血も、人々の悲鳴も、転がる死体も、崩れる城も、まだ全てが記憶に新しい。
 無意識のうちに、羽織っているマントの裾をぎゅっと握り締める。
「…んー………」
 そんな彼に、男はしばらく耳の裏を掻きながら唸り続けていたが、やがて閃いたように口の端を上げて、ユリウスの頭をポンと叩いた。
「?」
「ふふ~」
 頭の上に残る微かな重さに目を瞬かせ、訴えるように男を見る。それでも彼は得意げに笑うだけで。
 仕方なしに手を伸ばしてみると、頭にバランスよく乗せられていた黄色いひよこのおもちゃがその手にすっぽり収まった。
「君にあげる。さっき向こうの店でくじ引いたらもらったんだー」
「………」
「この顔見てたら、なんか色々悩んでるのが馬鹿らしくなってくると思わない?」
 チョイチョイとひよこを突っつく男につられて、ユリウスはそのくちばしを自分に向ける。
 そこにはつぶらな瞳の上に、キリリと吊り上がった黒くて太い眉が描かれていた。あまりにもアンバランスなその顔は、確かに奇妙で可笑しい。
 思わず笑みを零すと、男が目を輝かせてがっしりと肩を掴んできた。
「うん、その顔その顔! 笑った方がぜっったい可愛いよー!」
 彼はいつもこの調子なのだろうか。
 にこにこと満面の笑顔を見せる男は、まるで尻尾を振って喜ぶ犬のようだ。
 一匹のひよこの登場から、二人の間に穏やかな空気が流れ始めた、その時。
 
「―――…坊ちゃあぁ~……ん……」
 
 遠くの方から慣れ親しんだ声が耳に届く。
 立ち上がって声がした方向を見やると、人混みの向こうにユリウスがよく知る金髪が見えた。
「あれー? もしかして今の声、お連れさん?」
 こくりと頷くと、「じゃあこれでお別れだね~」と男が大袈裟なくらいに肩をがっくり落とした。
 先程まで全力で降っていた尻尾も途端に垂れ下がったように見えて、思わず噴き出してしまう。
「あ、そういえばまだ名前言ってなかったよねー。俺はカイル。君の名前も教えてくれたら嬉しいんだけどなー」
 子供のように強請る男――カイルに、ユリウスはほんの少し考える仕草をしてから、自嘲気味に微笑んだ。
 そして徐にカイルの右手を指さす。
「え、なに………手?」
 不思議そうに右手を差し出すと、ユリウスはその手の平に指で丁寧に文字を綴り始めた。
 何とも言えないくすぐったさに身を捩りそうになりつつも、カイルはその軌跡を一心に辿る。
「ユ、リ、ウ、ス」
 指の動きに合わせて一文字ずつ声に出して読み上げると、ユリウスが小さく頷いた。
「………ユリウスくん。君、もしかして声が…?」
 カイルが複雑そうに眉を顰めたが、一方のユリウスは特に気にした様子もなくふわりと笑った。
 その笑顔が切ないくらいに綺麗で、カイルの脳裏に昔仕えていた銀髪の少年が思い浮かぶ。
 
 ―――さ、よ、う、な、ら。
 
 ゆっくりと口を動かして音のない言葉を紡ぐと。
 ユリウスはぺこりと頭を下げてから、人混みの中へとあっという間に消えてしまった。
「幸せ………もう逃がさないようにね」
 まだ細い指の感触が残る右手を強く握り締めて、カイルはぽつりと独白したのだった。
 
 
 
 
END